事件概要:
1989年6月4日、中国の天安門広場で民主化を求める学生や市民に対し、共産党政権が武力弾圧を行い、多くの命が失われた。この事件の背景には、表現の自由や汚職に対する責任追及を求める声があった。以後、中国国内では事件に関する言及が厳しく検閲され、その記録を抹消しようとする動きが続いている。37年が経過した2023年6月3日、米国のルビオ国務長官は声明で、いかなる検閲も過去を消せないと主張。同時に、犠牲者たちの正しさが証明される日が来るだろうと述べ、その遺志を称賛した。この事件は現在も中国の厳しい言論統制を象徴する出来事となっている。

コメント:
天安門事件が示すのは、国家権力が市民の基本的な権利を踏みにじる異常さです。丸腰の学生や市民が武力に倒されたのは、ただ民主化を求めたからに過ぎません。この弾圧は、人権や表現の自由といった近代社会の普遍的価値を真っ向から否定した出来事であり、中国がその記録を徹底的に検閲している事実自体、制度の透明性と正義の欠如を象徴しています。
なぜ問題が続くのでしょうか?その背景には、権力集中体制が自己批判を許さない構造と、歴史を都合よく消し去る思想が根深く存在します。これを許容することは、国家が同じ過ちを繰り返す余地を与えることに等しいのです。
解決策として、まず国際社会が事件の歴史的意義を共有し、記憶を風化させない努力を続けることが不可欠です。そして、中国国内における言論や情報の自由を保証する改革が求められます。最後に、普遍的な人権の守護者として国際的な監視機能を強化し、個人の自由を確保する必要があります。
歴史を抹消しようとする行為が示すのは、恐れる理由があるからです。しかし、人々の記憶と意志は決して消し去ることのできない力です。真実は、いかなる抑圧にも勝り続けるでしょう。
ネットからのコメント
1、問題の本質は、三十七年前の事件そのものだけではない。国家が「記憶」を管理できると信じていることだ。中国政府は検索結果を消し、教科書から抜き、追悼を監視すれば、人々は忘れると思っている。しかし、それは逆だ。語ることを禁じられた記憶ほど、体制の弱点を照らす。
もちろん、米国の声明にも政治的な計算はある。ワシントンは人権を語りながら、必要な相手には沈黙することもある。だから米国を無条件に善玉として扱うのは危うい。だが、それでも天安門を語る意味は失われない。丸腰の市民に軍が向けられたという事実は、検閲では変えられない。もし体制が本当に自信を持っているなら、犠牲者の名前を出し、遺族に語らせ、歴史家に検証させればいい。それができないのは、過去がまだ現在を揺さぶる力を持っているからだ。強い国なら過去を検証できる。過去を恐れる国家は、本当は強くない。
2、「頭隠して尻隠さず」とは言いますが、中共がこの事件に対してやっている事はまさにそれでしょう。以前に読んだ書籍では中共は自国民に対してこの事件は西側諸国の陰謀でありそれを阻止するためにやむを得ず鎮圧したとこじつけて正当化していると書かれていたが、それを貫徹すればいいだけだと思うのですが当時を知らない世代はともかく当時を知っている世代にはそうは行かないのでそうした世代が存命中はこうした見苦しい措置を取るのでしょうね。
しかし、この国が何をしたところでこの事件を歴史的には無かった事には絶対に出来ませんし日頃から日本に対して正しい歴史を云々言って来る姿改めてが滑稽で仕方ありません。
3、天安門事件直後に世界中の国々が中華人民共和国の独裁体制に批判の中、日本のハニトラ議員がいち早く議員団を送って、助けてやった、恩が江沢民による戦前のありもしない抗日教育で、日本も教育の中で中華人民共和国の日本たいする横柄な態度や天安門事件チベット内モンゴル自治での人権侵害を近現代できちんと教育すべき。
4、日本政府は中国が日本の過去の歴史問題を取り上げ非難する度に、繰り返し天安門事件で自国民を虐殺した中国共産党に非難される筋合いはないと応ずるべきだ。中国国内では報道されることはないだろうが、世界に向けて発信し続けることに意味がある。プロパガンダも一種の戦争。決して後れを取ってはならない。
引用元:https://news.yahoo.co.jp/articles/cf1cab53056da2b6b8132efbbe06cb666feae237,記事の削除・修正依頼などのご相談は、下記のメールアドレスまでお気軽にお問い合わせください。[email protected]