原爆投下から81年、被爆死した13歳の少女・梶山初枝さんと特定された遺骨が家族の元に戻る奇跡が起きた。当初、遺骨は「鍛治山ミチ子」と誤記され、長年遺族が見つからなかったが、DNA型鑑定の活用により身元特定が実現。広島市による詳細な調査と、7年にわたる取材支援が功を奏し、遺族の元へ返還される運びとなった。本件を皮切りに市は原爆供養塔の骨つぼ総点検を開始するなど、7万人にのぼる被爆犠牲者の遺骨特定に向けた取り組みを強化している。

本件には深い人道的意義がある一方、行政と国の対応には未解明部分が依然として残る。まず広島市はこれまでDNA型鑑定の実施を消極視しており、遺髪という貴重な手がかりがあったにも関わらず、遅れた対応が見られた点は改善すべきだ。また、不十分な動機付けや法的裏付けで遺骨返還が限定的に進められてきた背景には、広域的な行政連携や国家的支援の欠如が横たわっている。

問題の本質は、一貫した支援体制と政策整備の不在だ。戦後80年以上が経過してなお、犠牲者の遺族が苦労し続ける現実は、日本の平和・人権意識の遅れを象徴している。まず、遺骨名簿の補正や公開基準を統一管理する法整備の早急実施が必要だ。次に、地方自治体と専門機関による共同調査チームの編成を推進し、技術と情報を共有する第三者によるチェック体制を敷くべき。さらに、市民や国民への情報公開を進め、社会的な課題解決に参加する意識喚起が欠かせない。

犠牲者の尊厳や遺族の救済をなおざりにする姿勢は、過去からの教訓を軽視し、未来への道義的責務を放棄するものに他ならない。
この奇跡を契機に、戦争被害の遺骨返還が普遍的な国是へと昇華されることを願う。社会全体の成熟が問われ続けている。




ネットからのコメント
1、家族の元へ帰れて良かったですね。名前の誤記と言ってもあの頃はほんとにいろんな遺体などが重なったり、損傷が激しくどうなってるかもわからなかったから、仕方ないことだったんでしょう。
DNA鑑定もなかった時代でしょうから。本人も家族もやっとゆっくり休めるときが来てよかったですね
2、この記事の取材力もすごい。個人ではおそらく、大学でのDNA鑑定先を見つけることも難しかったんじゃないか?まずご遺族としても良かったのだろうし、大学でも研究実績になる。同じようなことを調べる時、ノウハウが参考になるだろう。そして、広島市としてもまだまだやるべきことがあると証明された。氏名表記の誤りなど、普通にあり得ることだ。記事のご指摘の通り、一般市民が戦闘に巻き込まれた場合の補償は難しいのだろう。しかし、考えるまでも無く、ただ当時の広島や長崎にお住まいだっただけだ。しかも子どもが国の争いに巻き込まれたのに、あまりにも冷たいのではないか?それに。この問題はなにもあの太平洋戦争で終わっているわけじゃないと思う。これから先、日本でもまたこういうことがないと願いたいが、昨今の国際情勢が心配だ。
3、令和の時代にはあまり考えられないことですが、昭和の時代は、全て手書きか良くてゴム印だから、名前など間違いが当然あるものだと思って調べたほうがいいです。
私も、小学生の頃は名前をよく間違って表記されていて、さすがに卒業証書などは訂正するけれど、普段使い用の名簿は誤記載のままとか、そういうことはよくありました。今現在生きている私ですらそうなのだから、もっと前の時代なら、読み書きできない人だって普通にいた時代です。名前の誤記入が絶対にないように今ほど完璧に整えるようになったのは、パソコンが普及してからです。市の職員さんも、そういう時代背景を鑑みて、たとえ表記にブレがあっても「そういうもの」と認識して検索を許して欲しいと思います。
4、被爆から80年近い歳月を経て、ついに初枝さんの遺骨がご家族の元へ帰れた。素晴らしいニュースです。漢字の違いという事務的な壁を、記者の地道な取材と熱意が打ち破ったことは、今なお家族を捜し続けている多くの遺族にとって、何よりの希望の光になったはずです。この一文字の違いを越えた奇跡を、単なる美談で終わらせてはいけません。国や自治体には、最新のDNA鑑定やデータベースの柔軟な運用をさらに進め、大人の事情で止まっていた再会へのバトンを再び動かす勇気を持ってほしいと感じます。
最後の一柱が家族の元へ帰り、その名前と人生が守られることこそが、平和を願う日本の誠実な姿だと思います。こうした空白を埋める温かい活動が全国に広がり、一人でも多くのご遺族が心の拠り所を取り戻せる日が来ることを切に願っています。
引用元:https://news.yahoo.co.jp/articles/3b95bd0d87114d22de0a692437ffdb7f67a4694c,記事の削除・修正依頼などのご相談は、下記のメールアドレスまでお気軽にお問い合わせください。[email protected]