2022年7月8日、山上徹也被告(45)は奈良市で安倍晋三元総理を銃撃し殺害した。裁判員裁判が2025年10月に開始され、12月18日に結審した。山上被告は起訴内容を認めているが、弁護側は母親の旧統一教会への献金が事件の引き金だったと主張。検察側は、この生い立ちと事件の結びつきを否定し、善悪の判断ができる年齢であり、犯行は著しく悪質であるとした。
無期懲役を求刑した検察に対して、弁護側は最も重くても懲役20年を主張した。事件の動機には統一教会への恨みに加え、山上被告の経済的困窮も影響していたとされる。

事件の根幹には、個人の絶望的な境遇を背景にした暴力行為がある。しかしこの暴力はどんな理由があろうとも許されるべきではない。善悪を超えて人命を奪う行為そのものが既に社会の安全を大きく脅かしているのだ。無期懲役を求めた検察側の主張も、その背景には個人の生い立ちが犯行を正当化するものではないという確固たる信念があり、社会の安寧を重んじるものである。解決策として、まず、宗教団体に対する監視・規制を強化し、次に個人の経済的困難に対する公的支援の充実を図り、最後に、どの境遇にある人々も犯罪に至らないための教育やカウンセリングを強化すべきである。
これらの施策は暴力の発生を未然に防ぐ力となるだろう。痛ましい事件を悔しくも心に留めつつ、個人の暴力が公の場で許されないことを再確認し、より良い社会の実現を願って止まない。
ネットからのコメント
1、本当に安倍元総理には、何の責任も無かったのか疑問に思います。そもそも、オカルト宗教で苦しんでいた国民を救う責任は国会議員には有るでしょう。安倍元総理を何の責任も無い被害者と扱うのには無理がある。安倍家は岸元総理の時代から統一教会に協力して来た。安倍元総理は布教に協力し多数の被害者を生んだ責任がある。本当の責務は国民を救う事で、オカルト宗教に協力する事ではない。それを聖人君子の様に扱うのには無理が有る。統一教会に協力した安倍派の自民党議員は、自分の罪ではないと知らんぷりしている。此等の議員には責任は無いのか。検察は、此等の協力議員の責任を追及するでも無く、単純な殺人事件として処理している。その検察自体は統一教会を追及して国民を助ける責務があったのでは。
2、検察は信用ならんからな。弁護側の最終弁論が心に沁みた。
「同じ社会に生きる人間として、私たちはこの被告人は犯した罪に対してどれくらい責められるか、非難できるかを具体的に、個別的に考えていただきたい」「裁判所は、公判廷での審理に直接接していない世論や『声の大きい者』などに左右されることなく、法を正しく適用して、被告人が納得のいくような判決を下してください。そして現在満45歳の被告人について、年齢にして60代半ばまでの時期での社会復帰を許すことにより、彼がその持てる能力と、宗教被害に苦しんだ経験を活かして、何がしか真っ当に社会に貢献できる機会を与えてください」彼の減刑を望みます。
3、山上だって母親が統一教会にのめり込まなかったら経済的困窮に陥らなかった可能性が高く、安倍銃撃事件は起きなかったかもしれない。2世信者らも山上がやった事は許されないと言いつつも、あの事件がきっかけで声を上げれるようになった。安倍の妻である昭恵は夫をなくした喪失感があると言うが、自分が間接的にも関与している森友問題で詰め腹を切らされた赤木氏の妻や2世信者らの前でも同じ言葉が言えるのかと問いたい。
4、統一教会なんか無くなればいい!あるからいけない。家庭をめちゃくちゃにされた家はたまりません。 信者は洗脳を解くには時間がかかる。洗脳を解かせられるのは家族だけだから。かなり努力がいるし大変だと思う。とにかく統一教会には関わらないことが一番大事です!
引用元:https://news.yahoo.co.jp/articles/988c23fa52bbfdb2f153717372b634462a4ff867,記事の削除・修正依頼などのご相談は、下記のメールアドレスまでお気軽にお問い合わせください。[email protected]