庄司薫さん(本名:福田章二)が4月5日、老衰により88歳で死去しました。東京生まれで都立日比谷高校から東京大学法学部に進学した彼は、大学在学時に「喪失」で新人賞を受賞。その後約10年の沈黙を経て、1969年発表の「赤頭巾ちゃん気をつけて」で芥川賞を受賞しました。同作は学生紛争が盛んだった時期の若者の心理を軽やかな口語体で描写し、現代文学に革新をもたらしました。シリーズ累計360万部を記録した4部作を執筆後、彼は小説から距離を置きました。妻でピアニストの中村紘子さんも、2016年に他界しています。

庄司薫さんの訃報に接し、彼が文学に残した痕跡をたどると、人間と社会のあり方を問い続けた深い洞察が浮かび上がります。「赤頭巾ちゃん気をつけて」に象徴される青春小説は、学生紛争という混乱する時代を背景に、一個人としての揺れる心情と葛藤を巧みに描き出しました。
多感な時期を過ごした若者たちにとって、薫さんの作品は心の支えとなり、未来への道標となったことでしょう。
特に、「赤黒白青」の4部作に込められた彼の独特のカラーは、時代の彩を鋭く切り取りました。文学史におけるその影響は計り知れず、彼の創作が個人的な経験を超え、多くの人々の記憶に刻まれたことは疑いありません。
彼の逝去に際して、悲しみに暮れる読者の方々は少なくないと思います。しかしながら、作品を通じて遺した庄司薫さんの言葉は、時間を超えて人々の心に響き続けています。私たちは彼が紡いだ物語世界とともに、その文学的精神を未来へ受け継ぎ、再び考え、語るべきではないでしょうか。
ネットからのコメント
1、私が高校生の時、隣市の駅のホームにいたら庄司さんが話しかけて来て、「降りる駅を間違えてしまったので改札口に行って電話して来たいんだけど、ちょっと荷物を見ててくれませんか?」と言われました。今から50年くらい前の携帯も普及していない頃で田舎なのでホームにいたのは私だけでした。庄司さんのお顔は雑誌でよく見ていたのですぐご本人とわかりましたが、恥ずかしくて話ができませんでした。
しばらくして戻って来た庄司さんが「これ。」と私の膝に買って来たキャラメルの箱を置いて下さったのをよく覚えています。あの時サインを貰っておけば良かった。物言いもお顔もとても優しい方でした。
2、高校生の時に「僕が猫語を話せるわけ」というエッセイ集を読み、それから薫くん4部作を知りました。年代も住んでいる土地柄も性別も全然違う、そしていろんな物事を考えている遠い世界の薫くんがまぶしく見えたのを覚えています。ファンレターを出したら猫(タンク・タンクローちゃん)の写真が付いたはがきの返事が届いて感激しました。今でも宝物です。大学の時は庄司薫さんを論文のテーマにもさせていただきました。もっと書かれたものを読みたかったのですが、私が大学生の時には既にペンを置かれていてそれ以降書かれることはなかったのが残念でした。ご冥福をお祈りいたします。
3、薫くんより一回り下の世代なので「赤頭巾ちゃん気をつけて」との同時代性はあまり感じなかったけど、高校時代に読んだ「白鳥の歌なんか聞こえない」は祖母が病床についていたこともあり薫くんと由美ちゃんの心の揺れ方に強い共感を覚えた。
今でもモクレンの花を見ると思い出す大切な小説です。ご冥福をお祈りいたします。
4、奇しくも、奥様である中村紘子さんが旅立たれてから今年でちょうど10年。庄司薫さんも旅立たれておられたのですね…。中村さんのエッセイに度々、庄司さんの事が書かれていました。(聞けば、ゴルフの“シングルプレイヤー”でいらしたとか)きっと今頃は天国で紘子さんと再会されて談笑されている事でしょう。謹んで、庄司薫さんの御冥福をお祈り申し上げます。
引用元:https://news.yahoo.co.jp/articles/243f3f85f4714cf4c9b47c515b7ae6e293260c70,記事の削除・修正依頼などのご相談は、下記のメールアドレスまでお気軽にお問い合わせください。[email protected]