玉川徹氏は、テレビ朝日系「羽鳥慎一モーニングショー」に出演し、核抑止についての私見を述べた。広島の湯崎英彦知事のスピーチから始まり、湯崎知事は核抑止が「頭の中で構成された概念」であるとし、「フィクション」と表現した。これに対し、玉川氏は日本がアメリカの「核の傘」に依存している状況を「フィクション」だと批判。具体的には、日本が核攻撃を受けた際に、アメリカが報復核攻撃を実行することの現実性に疑問を呈し、その非現実的なシナリオを「フィクション」と断じた。
玉川氏は、アメリカが日本のために自国の破壊を許容するとは考えにくいと指摘し、核戦略に対する疑念を示した。
核抑止理論と「核の傘」の現実性に対する批判は、根深い安全保障政策の欠陥を衝いています。まず、現実判断に欠けた「核の傘」は、国民を不安定な心理状態に陥れ、真の安全保証を与えていません。次に、歴史的に見ても核保有国同士の対立回避には限界があり、信頼できる安全保障を必要としています。最後に、このフィクションに依存する政策は、国際社会における倫理的立場を曖昧にしています。具体的な変革策としては、まず、核兵器廃絶を目指した国際的な取り組みを強化し、外交的解決を重視する安全保障政策を確立することが必要です。次に、地域のセキュリティダイアログを推進し、多国間の協力関係を築いていくことが求められます。
最後に、国民に対する情報公開を徹底し、現実的な選択肢についての議論を深める必要があります。このように、理想と現実のギャップを埋めることが、日本の将来的な平和と安定を確保する鍵と言えるでしょう。
ネットからのコメント
1、冷戦期、NATOのヨーロッパ防衛において米国の戦術核配備は「ソ連が欧州侵攻すれば米国が核使用に踏み切る可能性」を現実化させ、結果としてソ連の大規模侵攻は起きませんでした。朝鮮半島でも、米国の核抑止を背景に韓国は北朝鮮の全面侵攻を回避しています。これらは「本当に撃った」わけではなく「撃つかもしれない」という不確実性そのものが抑止になった例です。つまり“使うこと前提”でなくても十分に現実的効果がある。
2、核兵器はあくまで抑止力になる事かつ外交での大きな後ろ盾にもなり得る存在です。だから結局、日本は北朝鮮や中国、ロシアなど核保有国に対して外交でも舐められて続けている。あながち『核保有は安上がり』という言葉も間違っていないと思います。
3、抑止はフィクションではありません。「抑止」「抑止とは」を辞書等で調べれば意味が示されます。
よって、玉川氏に”ストンとおちるもの”は無いはずです。尚、抑止力とは「相手に攻撃そのものを思いとどまらせること、思いとどまらせる能力」のことですから、フィクションと認識された時点で、それは抑止力にならないのです。「真実があっての表現の自由」と定義付けされている放送法の範囲で、「免許制である放送電波」にのせる情報が、玉川氏のような一個人の私見というのは余りにも酷く無責任なものと考えます。テレビ朝日及び総務省には、真面目な運営をお願いしたいものです。
4、詭弁でしょう。万一、日本がどこかの国から核攻撃を受けたとして、玉川さんおっしゃる通り、アメリカがその国に対して核で報復措置を取ることはないでしょう。日本は核一発で沈みますし、沈んだ国のための報復なんて、誰の得にもならないことを、リスクを冒してアメリカがやるはずがない。が、そのことと、日米安保が、他国が日本に侵攻、侵略したり、核の使用を控えたり、の抑止力になっているかどうかの議論はまた別の話です。私はある程度の抑止力にはなっていると考えています。つまり、抑止力が多少なりとも働いていると考えることができるなら、『核の傘』はフィクションではないと言うことができるはずです。
引用元:https://news.yahoo.co.jp/articles/8cc1871356fdd8610ebd4a4f5071512ed7e91f6b,記事の削除・修正依頼などのご相談は、下記のメールアドレスまでお気軽にお問い合わせください。[email protected]