8月15日、終戦80周年を迎えたこの日に、高畑勲監督の『火垂るの墓』が日本テレビ系で放映された。親たちは子どもと共にこの作品を鑑賞し、戦争について考えるきっかけにしたいとの声が多く上がった。この素晴らしい映画は兄妹が戦争で両親を失い衰弱して命を落とす姿を描いており、大人でも心を痛めるストーリーである。今回の放送が親子間の特別な思い出となり、毎年の習慣になることが期待される。
映画は戦争の悲惨さを現実として伝えており、高畑監督の反戦への強い思いが反映されている。
現代においても『火垂るの墓』が放送されることは多くの意味を持つ。戦争を題材にした作品を幼い子どもに観せることには賛否がありますが、この映画は未来の世代に戦争の恐ろしさと悲惨を伝える強力なツールです。親がこの時期に子どもと共にこの映画を観るという行動は賞賛されるべきです。しかし、ここで一つの疑問が生じます。私たちは子どもたちにどの程度の戦争の影響を直接経験させるべきでしょうか?戦争の悲惨さは理解すべきですが、映画を観て心に傷を負わせることは避けたいものです。教育的価値を維持しつつ、子どもたちを守るためには、次のような方法を考えるべきです。まず、『火垂るの墓』を観る前に、親が作品の背景について説明し、戦争の本質と平和の重要性を伝える。次に、視聴後には必ず親子で感想を共有し、子どもの不安や疑問に対処する。そして、この映画に対する理解を深めるため、戦争に関する他の教材や映画を用いて平和教育を継続する。子どもたちが将来平和を築く担い手になれるよう、これらの方法が大きく役立つでしょう。
ネットからのコメント
1、正直見たくないという気持ちもある。でもその見たくないという気持ちも大切だと思う。なんでもかんでも、グロいからとか怖いからとかで規制するのは違うとも思う。もちろん時代にあったことは大切だけど。子どもの時はおばさんイジワルで嫌いだった。大人になると清太もやりようあったのでは?と思うようにもなった。でも清太もおばさんもあの極限の中で生きてて偉そうに言えないとも思った。
2、野坂昭如さんの体験を元にした物語とは言え、当時はこういう事何処にでもあったんだろうなあと思いました。戦後10年以上経過した昭和30年代でも、高校生の一部では、困窮から弁当を持参出来ず、昼休みはそっと教室を出て、水道で空腹を満たしている学生なんかいました。自分自身が歳を重ね、立場を変えて観ると、その時々によって感想も変わり、考えさせられています。全世界でこの物語を観て欲しいと思います。一部の為政者によって始められた戦争は、最終的に力の無い弱者を追い詰め、不幸にすると言う事は明白なのですから。つくづく、平和とは何か、現代人にしっかり受け継いで欲しいです。
毎年の放映は必要と感じました。、
3、自分が大人になったり時代を経て感覚が変わったりで大昔に観た頃とは感じるものは違いますよね叔母さんが意地悪というけれど、自分たち家族が食べていくのでやっとなところに二人の面倒をみなくてはいけなくなっているんだから不安や不満で一杯なのも今なら理解出来るそれでも出て行った二人を探して連れ戻せば、清太は謝って戻れば、少なくとも節子を亡くすことは無かったのではないかそれでも戦後の混乱の中どうなっていたか分かりませんが、いろいろ考えさせられますね
4、戦後80年という節目の8月15日に『火垂るの墓』が放送されたことは、とても大きな意味を持つと思います。清太と節子の悲しい運命は、戦争がどれほど子どもや一般市民の暮らしを容赦なく奪うかを改めて突きつけてきます。観るのがつらいという気持ちもよく分かりますが、だからこそこの作品は今も色あせずに語り継がれているのだと感じます。SNSで「子どもと一緒に観た」「親子で戦争について話した」という声が多かったのも印象的です。たとえ子どもにとってショックが大きくても、そこから「なぜこんなことが起きたのか」「戦争は絶対にしてはいけない」という気づきにつながるなら、それはかけがえのない学びになりますね。
高畑勲監督が込めた「平和への祈り」が世代を超えて届いている証拠だと思います。来年以降も8月15日にはぜひ放送を続けてほしいし、私たち大人も毎年見直して、過去を忘れないようにしたいです。
引用元:https://news.yahoo.co.jp/expert/articles/11fdefc895794938d50a624021491159ad6d8a67,記事の削除・修正依頼などのご相談は、下記のメールアドレスまでお気軽にお問い合わせください。[email protected]