宝塚歌劇団の元星組トップスター、寿美花代さん。彼女の名は、その華やかな舞台と共に、ある衝撃的な事件とも深く結びついています。1960年代には宝塚で一世を風靡し、「新源氏物語」の女優としても知られた彼女が、晩年に直面した悲劇とは一体何だったのでしょうか?
寿美花代さんは、宝塚歌劇団の男役トップスターとして名を馳せました。1961年に名優・高島忠夫さんと結婚し、幸せな家庭生活を築いていました。二人の夫婦仲は世間にも広く知られ、誰もが憧れる存在でした。しかし、この幸せの絶頂期に、ある恐ろしい事件が一家を襲いました。
1964年8月24日、世田谷区の自宅で、当時5か月の長男・道智代さんが何者かによって殺害されるという事件が起こりました。犯人は何と、家で働いていた17歳の家政婦だったのです。この信じがたい悲劇は、夫妻の人生を一変させることとなりました。
事件の当日、家政婦が家中を探し回る中、風呂場で道智代さんの遺体が発見されました。高島夫妻は「道智代くん!」と必死に名前を呼びながら、家中を駆け巡ったと言います。寿美花代さんは「風呂のふたを開けた瞬間、鼻血がブワッと出た」と、当時の恐怖を涙ながらに語っています。この瞬間、彼女の人生は音を立てて崩れ去りました。
その後の捜査で、家政婦が自ら犯行を認めました。彼女はもともと高島夫妻のファンであり、幸せな家庭の一員として愛されていました。しかし、長男が生まれたことで自分が疎外されたと感じ、次第に不満を募らせていったと言います。そして、ついにその不満が衝動的な殺人へと繋がってしまったのです。
家政婦の少女は当時未成年であったため、殺人罪で起訴されたものの、1965年には不定期刑が言い渡され、3年後の1968年に仮出所しました。彼女は出所後、メディアを通じて「高島さんに謝りたい。命日には毎年お花を供えている」と語ったと言いますが、その言葉には真実がどこまで含まれているのか、多くの人が疑問を抱きました。
一方で、寿美花代さんは事件後、精神的なショックから風呂に入ることができず、49年経った後もシャワーで済ませていると告白しました。さらに、彼女の息子である高島正伸さんは、ある女性から「犯人は私だ」と話しかけられた経験を持ち、その言葉に驚愕したと語っています。この家族にとって、事件は終わったことではなかったのです。
その後、高島忠夫さんが老衰で亡くなるまでの間、寿美花代さんは夫を献身的に介護し続けました。彼女は「介護は財産になった」と語りながらも、心身の疲労は計り知れないものでした。2019年に高島忠夫さんが亡くなった後、彼女は長年暮らしていた豪邸を手放す決断をしました。
2023年、ニュースポストセブンは「寿美さんは豪邸を去り、施設に入居した」と報じました。彼女は「忠夫さんと一緒に過ごした家にいると、日増しに悲しみが大きくなる」と述べ、心の平安を求めて新たな住まいを選んだのです。
引用元:https://www.youtube.com/watch?v=oYUDdC-WAOY,記事の削除・修正依頼などのご相談は、下記のメールアドレスまでお気軽にお問い合わせください。[email protected]