第2次世界大戦の末期に起きた「葛根廟事件」は、1945年8月14日に満州の西部国境付近でソ連軍によって1000人以上の日本人避難民が虐殺された事件です。生存者の証言によれば、戦車部隊がやってきて逃げる民間人を機関銃で掃射し、轢き殺しました。犠牲者の悲鳴が響く中、血の海と化した草原には死体が折り重なり、赤ん坊が亡くなった母にすがりつく姿も目撃されました。
生存者はわずか数百人しかおらず、悲劇の規模とその残酷さが際立ちます。
この事件は、戦争の無慈悲な現実を痛烈に描き出しており、制度の欠陥や軍の無責任さを浮き彫りにします。当時の軍は国体の維持と組織の保護に専念し、民間人を見捨てました。これは軍が国民を守るべき使命を果たさなかったことの現れです。まず、歴史の真実を公表し、犠牲者の声を正当に伝える必要があります。続いて、戦争の非人道性を教育し、二度とこのような惨劇を繰り返さないための国際的な協力を求めるべきです。最後に、犠牲者の遺族への充分な補償と支援を提供し、心の癒しを促進することが不可欠です。戦争の非道さを反省し、社会全体で平和と安全を追求することが、未来への誓いとなるでしょう。
ネットからのコメント
1、かっこんびょうじけん、これを知ってる日本人はどれくらいいるの?南京大虐殺や慰安婦等、被害者ではない人間が被害者面で日本からお金をむしり取り、あったか無かったか資料も無いような海外の出来事に日本のメディアやマスコミは大きく報道し、葛根廟事件のようにきちんと資料も残されている悲惨な事実を何故もっと大きく報道し二度とこんなことがあってはならないと世界に反省させるべきようなことをしないのか本当に理解に苦しむ。
2、兄弟たちの中で唯一徴兵経験のある父が生前よく言っていました。ソ連は信用のならない国、と。こういうことなんですね。子どもだったのでなぜ父がソ連を憎むのかよくわかりませんでしたが、戦争の実際をもっと聞いておけばよかったと思います。
3、自分の祖母から色々な事を聞きました。終戦の年なって祖父に召集令状が来て出征して行ったと。出征の前日に祖父が言っていた言葉は、自分のような体も弱い病気がちな30過ぎた男を引っ張って行く戦争だから日本は負けると。行先は満州方面でしたが6月に現地に着き8月に終戦を迎えてソ連に抑留され亡くなりましたが、祖母はよくソ連は信用ならない国だから戦争が終わってからした事の方が悪い。またいつか日本が困っているどさくさで攻めてくるんじゃないかと言ってましたね。
4、日本の人権活動家は日本軍のことはあることないこと根拠のないことまで叩き、国外の被害者とされる人たちにはすっごく共感するのだが、日本人が受けた苦しみには何も言わないんだな。
引用元:https://news.yahoo.co.jp/articles/91af65c98606a7715b9bc6db4bd9f8fa72993f2e,記事の削除・修正依頼などのご相談は、下記のメールアドレスまでお気軽にお問い合わせください。[email protected]