事件概要:
アメリカとイスラエルによる戦争が継続する中、イランでは戦闘開始以来3,000人以上の死者、レバノンでは2,000人以上の死者と120万人の避難民が生じ、人道危機が深刻化しています。一方、ローマ教皇は戦争反対を表明し、トランプ前大統領の挑発的な行為や発言に抵抗。その一環で、彼の反戦姿勢は批判の的となり、 SNS 上の反戦活動も「お花畑」と揶揄されています。「平和を訴える難しさ」と戦争の容易な宣伝利用について議論が進行中です。

コメント:
戦争がもたらす悲劇の最中、平和を訴える声に対し「お花畑」と蔑む風潮には呆れるばかりです。この風潮こそ、戦争を成立させる構造の一部ではないでしょうか。
何故、酔いしれるほどの破壊や暴力が「現実的」と称され、平和を願う声が「非現実的」と一蹴される社会が許容されるのか、根本を問うべきです。
本質的な問題は、戦争へのイメージが具体性を持つ一方で、平和が抽象的で捉えにくい点にあります。この構造を利用して、為政者が戦争を「平和のため」と正当化するプロパガンダは耐えがたい欺瞞です。教育制度において、平和を具体的に描き、未来のビジョンとして共有する仕組みを導入する必要があります。また、メディアが平和に焦点を当てた話題を増やし、対話を重ねて戦争の想像力を分散させる努力も不可欠です。第三に、市民一人ひとりが平和を具体的・積極的に論じる姿勢を持つこと。これらを実現すれば、「現実的な平和」に一歩近づけるでしょう。
戦争は必然ではなく、選択です。不必要な命の犠牲が繰り返される現状を「現実」として受け入れてはなりません。人間の価値観は戦争を拒み、平和の形を新たに描ける力を持っています。それを実行する責任が、私たちにはあると強く信じます。
ネットからのコメント
1、戦争については日本人に関しては誰もが反対でしょう。
でも、一部の反戦団体が平和のために武力を放棄しようと言い出すから話がややこしくなる。ロシア対ウクライナ、イスラエル対イランの例にあるように、戦争は自国の戦力なら相手に勝てると思った時点で発生している。逆にアメリカ対中国の場合は戦力が拮抗しているので、あの強硬なトランプ大統領でさえ対話という手段を取らざるを得ない。第二次世界大戦後、紛争や戦争は何度も発生しているが、核保有国同士の戦争は発生していない。戦争して自国が滅ぶ可能性が有る限り、どの国も戦争に踏み込めない抑止力が働く。残念ながらまだ人類は対話だけで平和を維持できるほど成熟していない。
2、番組の中で伊藤さんは「平和を言う側も「軍事=悪」という単純化をしている」と言っておられたと記憶していますが、なぜその部分が記事から欠落しているのでしょう?反戦・平和の声が胡散臭く感じられるのは、まさにそういう「自分達に都合のいいことしか言わないこと」にあると思います!戦争反対の声は戦争の当事者に向けるべきで、なぜ国内政治に利用するのか?中国や北朝鮮に対しても等しく向けられるべきではないのか?反戦・平和を否定しませんが、訴え方は良く考えるべきです!
3、日本は戦争そのものを研究する軍事学を開講している大学が、防衛大学校以外にない。欧米を含めた世界中では、一般の大学で軍事学を開講しており、戦争を学術的に研究している。日本は戦前の昭和の軍国主義の時代を除いて、戦争そのものをアンタッチャブル化して軍事学を否定してきた。軍事学は戦争を単に行うための学問でなく、根本的命題は何故戦争が発生するのかを研究することにある学問である。平和を考えていく上では必要な学問であり、今後の大学教育には必要であるのではないかと思う。
4、核保有国同士の全面的な戦争が、『まだ』起きていないだけあり、我々が知らないところで間一髪で回避されたケースはあるそうです。想定される最悪の事態は、いずれ必ず起こる可能性があります。それが明日か、百年後かは分かりませんが、起こる可能性をなるべくでも出来うる限り少なくする努力をする事が大事だと私は思いました。平和の象徴は、平凡な日常の有り難さに存在すると思います。
引用元:https://news.yahoo.co.jp/articles/d813da1fbdd7b9c079e3e09f96d1065867cd754f,記事の削除・修正依頼などのご相談は、下記のメールアドレスまでお気軽にお問い合わせください。[email protected]