この件は【批判型】として対応します。
300字以内の事件概要:エホバの証人と信者20人は、2022年12月に厚生労働省が制定した「宗教2世」への虐待防止指針が信教の自由を侵害し違憲だとして、指針の無効確認と損害賠償を求め東京地裁に提訴した。指針は信仰に基づく行為であっても、児童虐待やネグレクトに該当する場合、児童相談所が一時保護を行える内容。教団はこれが差別を助長し、透明性に欠けると主張している。一方、国側は専門家審査や意見公募義務はないとし、通知は自治体支援を目的とした技術的助言と反論している。訴訟は初めてのケースであり、児童虐待防止と信教の自由のバランスが争点となっている。

コメント:信教の自由という普遍的な権利が、個人の成長と命を侵害してはならないという原則と衝突する現状。本件では、宗教を背景とした虐待行為、例えば輸血拒否や身体的制裁が問題視されており、これを放置すれば被害を受ける子どもたちの救済が遠のく。
一方で、厚労省の指針には、独立した専門家や公的意見の収集がなかった点で透明性が不足し、不信感を助長しているのも否めない。
まず、指針作成における透明性確保が急務だ。広い意見収集や公開討論、第三者機関の関与を推進すべきである。また、信教の自由と児童権利保護の均衡点を国際基準に基づいて模索し、柔軟かつ実効性ある基準を構築する必要がある。さらに、差別防止策として指針の配布方法にも慎重を期すべきだ。
「信仰」と「基本的人権」の対立は避け難いが、命を救う基準を欠いた信仰が社会的信頼に値するのかを問うべきである。透明性のない訴訟で失うのは、子どもたちの未来と公共の倫理観なのだから。
ネットからのコメント
1、宗教の自由は尊重されるべきですが、それが子どもの命や健康より優先されるとは思いません。特に子どもは自分で選べない以上、結果として重大な不利益が出る可能性があるなら、国が一定の線引きをするのは当然だと感じます。信教の自由といっても「何をしても許される自由」ではなく、他者、とくに子どもの安全が守られる範囲で成り立つものではないでしょうか。
2、すこし昔ですが部屋に知らない母子が訪ねてきてドアを開けると、女の子が棒読みで「今こそ世界を一つにするお祈りが必要」ということをしゃべり出しました明らかにいやいや言っていたし母に無理矢理やらされていたのでしょう肉体的な傷をともなわない暴力だと思ったしひどい虐待だと感じました信仰の自由を声高に叫ぶ前に親として、人としての責任・社会的ルール・モラルが崩壊しているのだから差別ではなく厳しく指摘されて当たり前ですよ…もっとも、一度洗脳された人は自分が洗脳されているという自覚が無いので本当に厄介ですが
3、エホバの証人は諸外国ではセクト(異端=キリスト教ではない)として認識されているため,日本もそれに倣ってほしいものです。宗教は本来,人の和をもって社会を作り上げるものです(過激な解釈をする原理主義は置いといて)。しかし,エホバの証人は教義自体に社会を壊す要素が含まれているため,そこを規制する必要があるのです。児童虐待や輸血禁止の問題は有名でしょう。それは信教の自由をもってしても守られてはいけない,そのように思います。
4、信教の自由は認められています。しかしそれはあくまで個人のものです。あなたの信仰は子供の信仰では無い。子供の心はあなたのものではない独立したものです。宗教とは必要な人にとっては必要ですが、不要な人にとっては全く不要なものです。必要となったときに自ら寄るものであり勧誘で引っ張って来ることは訪問販売の押し売りと全く変わらないのです。そもそも「布教」しないと集まらない宗教は求められていないともいえるのですよ。布教をあなたの信心という自己満足のためにやることは他人に損失を強要しています。信心はあなたの心の中だけで。
引用元:https://news.yahoo.co.jp/articles/f04c1af62dedc711855e200e4ca2ac72829d0a1c,記事の削除・修正依頼などのご相談は、下記のメールアドレスまでお気軽にお問い合わせください。[email protected]