"母に届かなかった10円" 第11話
そう考えると、森田は25の10円玉を、もう単なる銭とはえなかった。
昭55。
駅の公衆話では、今も受話器ががり、10円玉が属音をてて落ちていく。
「もしもし」
たった言から始まる話の向こうには、それぞれの暮らしがあった。
誰かの帰りを待つ。
くれた族。
配している親。
連絡を待っている子ども。
そして、もう度だけ声を聞きたいと願う。
そんな無数の声がき交う駅の片隅に、毎枚だけ置かれる10円玉があった。
誰かに褒められることもなく、聞に載ることもなく、その理由をるもほとんどいない。
それでも女は置き続けた。
あの、自分にはにわなかった枚を。
今度は、誰かににうかもしれない枚として。
母親へかけられなかった「あのの話」は、もう度とかけ直すことができない。
けれどその悔からまれた10円玉は、毎別の誰かの話へつながる能性を持っていた。
そうして女は、自分のだけに残っていたしい記憶を、ほんのしずつ誰かのためのものへ変えていったのかもしれない。
名も残さず、理由も語らず。
ただ毎25。
公衆話の横へ、枚。
それは、何経っても母親へ返すことのできなかった10円であり、同に、まだ見ぬ誰かへ先に渡しておく10円でもあった。
そして森田は、そのさな貨を見るたびにうようになった。
を救うものは、いつもきなものとは限らない。
には、誰にも気づかれないほどさな枚が、誰かの「にわなかった」を「にった」に変えることもあるのだと。
なくとも女は、そう信じていた。
だから今も、公衆話の横には10円玉が置かれていた。
あの、自分が番欲しかった所に。
今度こそ誰かの声が、切なへにうように。