"閉店写真館の11通" 第1話
瀬佐子がのシャッターに「閉のおらせ」を貼ったのは、202643の朝だった。A4のいに黒い文字で、630をもって営業を終すること、の利用への謝、証写真やプリント注文は最終まで通常通り受け付けることをいた。昨夜、自宅のプリンターで度刷り直したわりには、貼ってしまえばずいぶん簡単なに見えた。
埼玉県の郊にある瀬写真館は、佐子の父・が1969に始めただった。商の角にある階建てのさな建物で、階が舗と撮、階がかつて族の居だった。佐子はこの建物で育ち、結婚もを伝い、父がくなったあとは夫の修とで経営を続けてきた。
けれど修も6にくなり、今は佐子だった。スマートフォンで写真を撮るのが当たりになり、フィルム現像はほとんど来なくなった。証写真と齢者から頼まれる古い写真の焼き増し、所の幼稚園や町内会の事撮で何とか続けてきたものの、建物そのものが再発区域に入ったことで、とうとう終わりを決めた。
佐子は59歳だった。
娘の真理は35歳で、京の版社に勤めている。結婚はしておらず、暮らしを続けているが、母の閉が決まってからはに度ほどへ来るようになった。
広告
伝うためというより、佐子が本当に荷物を処分しているか監するためだと本は言っていた。
「お母さん、また残してるでしょう」
そのの午も、真理は階から古い段ボールを箱抱えてりてきた。には30の撮用リボン、壊れた計、メーカー名の入った袋、今では使えないフィルムケースが詰め込まれている。
「これは捨てるわよ」
佐子が答えると、真理は疑わしそうな顔をした。「昨もそう言って、昭の値札を引きしに戻したじゃない」と言われ、佐子は反論できなかった。父の字で「同プリント980円」とかれたさな札を、ゴミ袋へ入れる直に取りしたのは事実だった。
「別に全部残したいわけじゃないのよ。ただ、今捨てなくてもいい物まで今捨てなくていいでしょう」
「閉まで90しかないんだよ。お母さんのその考えでやってたら、最のにも絶対同じこと言ってるから」
真理は容赦がなかった。
それでもで作業をすると、のはしずつ空いていった。撮用の古い子を業者へ引き渡し、使わなくなった背景布を処分し、棚に積まれた額縁を所の絵画教へ譲った。何も物で埋まっていた奥の壁が見えるようになると、佐子は閉が急に現実になった気がした。
午5を過ぎ、真理が帰ったあとも、佐子はで作業を続けた。
広告
暗はもう10以、本来の用途では使っていない。今はアルバムや古い注文票を置く倉庫になっており、奥には父が使っていた製の棚が残されていた。
棚の番に、鍵のかかった引きしがあった。
佐子はそのをっていたが、何が入っているのかは覚えていなかった。父がくなったに度確認したはずなのに、そのはける必もなく、鍵がどこにあるのかさえ忘れていた。
具箱から細いドライバーを持ってきて、古い錠をした。
には茶い封筒が束になっていた。
最初、昔の注文票だとった。
ところが枚取りすと、表に父の字で、
《未引取 1998.11.3》
とかれていた。
そのには客の名と話番号がある。
次の封筒にも、
《未引取》
その次にも同じ文字。
全部で11通あった。
佐子は子を引き寄せ、通ずつ机に並べた。1996から2004まで、代はばらばらだった。当なら、仕がった写真を客が取りに来なければ話をかけ、それでも来なければ定期保管したあと処分する決まりだった。
「何で残したのよ」
誰もいない暗で、父に向かって呟いた。
父は規則に厳しいだった。
客のネガを勝に捨てるなと言う方、期限の過ぎた物をいつまでも置くなとも言っていた。その父が、なぜこの11通だけを別の引きしへ残していたのか分からなかった。
佐子は最初の封筒をけた。
にはネガと、同プリントされた写真が24枚入っていた。