"昭和35年、高校を諦め祇園へ渡った15歳の少女" 第14話
煙の記憶と台所の余韻
あれから、半世紀以の歳が流れた。
元号は昭から平成、そして令へと移り変わり、京オリンピックの狂も、度経済成の喧騒も、い歴史の教科のの来事となっていた。
丹のあいの町。
かつて文代の実があった所のくに建つ古い軒の台所で、歳になった文代は、朝ののでやかんをにかけていた。
髪の混じった髪をろで綺麗に束ね、腰には清潔な綿の掛けを締めている。
窓のには、黄に実った稲穂が、に吹かれて波のように揺れていた。
「おばあちゃん、おはよう! いい匂い!」
居の引き戸がき、になった孫娘の葵が、制姿で元気よく入ってきた。
「おはよう、葵ちゃん。今も起きやねぇ。すぐご飯できるよ」
文代は微笑みながら、際よくまな板ので根を刻む。トントンと規則正しい包丁の音が、静かな台所によく響く。
隣の居では、髪の増えた夫の正夫が、老鏡をかけて朝刊を広げていた。
あの、写真枚で縁談を受け入れ、町へ戻って嫁いだ相だった。数のない真面目な男で、役勤めを終えるまで浮気つせず、文代のことをいつも切にしてくれた。の子供に恵まれ、孫たちも元気に育ち、何つ自由のない、穏やかで満ちりただった。
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「おばあちゃん、そのお漬物の切り方、いつも本当に綺麗だよね」
葵がしたように、鉢に盛り付けられた切りのたくあんを覗き込んだ。
「そうかい? 昔、ちょっとだけ習い事をしてたからねぇ」
文代は照れくさそうに笑った。
嫁いできた当初、この町の所のたちからはよくからかわれたものだった。
『文代さんは、なんや品な言葉を使わはるなあ』 『背筋がいつもピンと伸びてて、まるでお姫様みたいや』
にをついてる「へえ」という返事や、渡されたものを受け取るの「おおきに」という言葉。丹の訛りに戻るまでには何もかかったが、所作の美しさと、誰に対しても礼儀正しくをげる姿勢だけは、を過ぎた今でも文代の体から消えることはなかった。
「はい、お待たせ。いうちにべなさい」
炊きたての米と、具だくさんの豚汁、そしてばしく焼けた鮭の切りが卓に並ぶ。
「いただきます!」
葵と正夫がをわせ、賑やかに箸をかし始める。
「うん、やっぱりおばあちゃんの豚汁が本だな!」
「げさやねぇ、正夫さんは」
族の笑い声に包まれながら、文代はふと、湯気のちるやかんを見つめた。
い湯気の向こうに、の景が、昨のことのように鮮やかによみがえってくる。
朝のえ切った祇園の畳。
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ほうきで掃き清めた黒りする玄関と、黒話の鳴り響く帳。
袋の裏に血を滲ませながら通ったお稽古と、首の骨がきしむほどかったの箱枕。
そして、厳しくも温かく自分を包み込んでくれた、置のお母さんの凛とした横顔。
名もなき歳の女たちが、故郷の族のために、自分の未来のために、涙を呑んで辛抱し、懸命にきたあの代。
華やかなカレンダーの写真には決して写ることのなかった、掃除をし、叱られ、を痛めながら畳を踏みしめたあの々こそが、文代のの確かな背骨となっていた。
「おばあちゃん、お茶のおかわりちょうだい!」
葵が湯呑みを差ししてくる。
文代はやかんを取りげ、黄の番茶をとくとくと注いだ。
「はい、どうぞ」
「ありがとう、おばあちゃん!」
葵の屈託のない笑顔を見つめながら、文代はので、誰に言うでもなく、静かにその言葉を繰り返した。
(……おおきに)
それは、自分を育ててくれた祇園の町へ、厳しかったお母さんへ、そして懸命に辛抱し抜いた歳の自分自へと向ける、涯消えることのない、温かい祈りの言葉だった。
の澄み渡る青空の、くの寺の鐘の音が、丹のあいに静かに、どこまでも優しく響き渡っていた。