"昭和27年、戦争未亡人が開いた小さな店の50年" 第3話
夜の針仕事
夫が帰らないと決まってから、私は幼い息子を連れて実へとを寄せた。
実といっても、決して暮らし向きが良いわけではなかった。
狭な同然のに兄夫婦と子どもたちも同居しており、私と息子にあてがわれたのは、向きの暗い奥の畳ひとつきりだった。
それでも、をしのげる根と、を寄せる所があるだけで、あの混乱の代には涙がるほどありがたかった。
昼は隣の農の芋掘りや取りを伝い、当代わりにしばかりの野菜や麦を分けてもらった。
農繁期が過ぎると、所の仕から頼み込んで内職の縫い物を引き受けた。
作業着の膝当ての補修。
子どもの古着の仕て直し。
配のズボンの裾げ。
息子を寝かしつけた、畳の真んに裸球をひとつ灯し、夜な夜な針を握った。
着仕げて、わずか数銭。
指先を針で突いて血を滲ませながら何着縫いげても、元に残るは雀の涙ほどだった。
それでも、内職をやめるわけにはいかなかった。子どもの飯代を、いつまでも兄夫婦の懐に頼るわけにはいかなかったのだ。
「そんなに根を詰めるんじゃないよ。あんたまで倒れたら、勇はどうなるんだい」
夜更けに便所に起きてきた実の母が、襖の隙から配そうに声をかけてくる。
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「丈夫だよ、お母さん」
「目を悪くするよ。昔から体がい方じゃなかったんだから」
「昼は勇がいて針を持てないから。今やっておかないと納品ににわないの」
息子がさいうちは、や堂へ働きにることも叶わなかった。
突然恵をすこともあれば、疳の虫で泣き喚くこともある。
実の義姉に毎子守りを押し付けるわけにもいかず、ので息子の寝息を聞きながらできる針仕事は、当の私にとって唯の命線だった。
けれど、毎晩同じ屈みの姿勢で座り続けていると、首から背にかけて鉄板を背負わされたように凝り固まった。
の夜は先から気がいがり、かじかんだ指先では細い綿糸を針穴に通すことすら苦労だった。
の夜は汗で額に張り付く髪を払い、い寄る蚊を団扇で叩きながら針をらせた。
疲労が限界に達すると、裸球のが滲んで、針の穴がつにもつにもなって見えた。
そんなは、針を置いて両でまぶたを覆い、く息を吐いて数分だけ目を休めた。
けれど、決して横になってはいけなかった。
度でも煎餅布団に体を横たえてしまえば、度と朝まで起きがれないことをっていたからだ。
い壁の向こうから、息子の規則正しいさな寝息が聞こえてくる。
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そのかすかな息遣いだけを杖にして、私は再び針を指先でつまみ直した。
夜けのじらとしたが障子を染めるまで、ただその繰り返しだった。
息子が学へがる頃、ようやくしずつ昼の働きにられるようになった。
けれど、戦争未に都よく用されている定した仕事など、どこを探してもなかった。
雇いの作業の伝いや、の炊事の皿洗い。当はその限りで、がれば仕事は流れ、景気が悪くなれば真っ先に切られた。
「来は、どうやって勇の靴を買い替えてやればいいんだろう」
帳面をくたび、胃の腑が雑巾のように絞られる夜が続いた。
そんなある、仕て直した作業着を届けに、町れのへ赴いたのことだった。
依頼主は、私より歳ほど嵩の、同じく夫をフィリピン戦線でくしての子を女つで育てげている戦争未の女性だった。
縁側で代の銭を受け取り、をげて辞しようとした、そのがふと私のやつれた顔を見据えて呼び止めた。
「ねえ、あんた。……煙でもやってみたらどうだい?」
突拍子もない言葉に、私はを止めての抜けた声を返した。
「……たばこ、ですか?」
「そうさ。専売公社の許を取って、軒先で煙を売るのさ」
「私が……ですか? 商売の経験なんて、何ひとつありませんけれど」
「経験なんて、最初からある奴がいるもんかい。あんたみたいに夫を戦争でくして、さい子どもを抱えてる未にはね、国が優先して販売の権利をろしてくれる制度があるんだよ」
「そんな……私なんかに、権利なんてりるんでしょうか」
「簡単じゃないよ。あちこちへをげて類をさなきゃいけない。だけどね、夜な夜な内職で目を潰すよりは、ずっと割がいいし、何より自分ので子どもの顔を見ながら商売ができるんだからね」
そのでは「へえ、そんながあるんですか」と笑いを浮かべて別れた。
商売など、別の世界の来事だとっていたのだ。
けれど、そのの夜も、いつものように畳で針を握りながら、私の先はまるでかなかった。
の芯に、あの言葉がこびりついてれなかった。
――通りに面した、さな窓。
硝子戸をけて、所のたちと言葉を交わし、品物を渡して銭を受け取る。
夜を徹して針をかし続ける々に比べれば、息子の「お帰り」を台所で待ってやることができる。
何より、自分ので自分のを持ち、銭を稼ぐことができるのではないか。
翌朝、朝餉の噌汁を温め直している母の背に向かって、私はい切って声をかけた。
「ねえ、お母さん。……煙って、どうやったら始められるんだろうね」
母は驚いたようにを止め、湯気の向こうから私を振り返った。
「急にどうしたんだい、藪から棒に」
「ちょっと……お役所へって、話だけでも聞いてみようかとってさ」
そのはまだ、本当に自分がを持てるなどとは信じていなかった。
けれど、この先の見えない貧しさの沼から抜けせる細い蜘蛛の糸があるのなら、度くらいは、その糸を繰り寄せてみてもいいのではないか。
歳の私の胸に、さくとも消えない種が宿った朝だった。