"昭和27年、戦争未亡人が開いた小さな店の50年" 第1話
昭、窓をけた朝
昭の、私は歳だった。
朝のをし回った頃、のの往来にはまだもまばらだった。のを流れる川の方から、まだええとしたが吹き抜けてきて、昨塗り終えたばかりの製板から、かすかに油性のペンキの匂いが漂っていた。
いペンキで塗りした板に、朱にい赤いペンキで「たばこ」。
たった文字の平仮名なのに、の晩は嬉しさと落ち着かなさで、何度も勝をてはから眺め入ったものだった。
通りに面した畳を半分だけ板敷きに改修して、にした。側の壁を角くくり抜いてさなげげ窓を切り、その内側に所の具から譲ってもらった古の枠ガラスケースを据え置いた。本専売公社から仕入れたばかりの巻き煙を並べてみると、それだけで貧相だった部が丁の構えに見えた。
窓枠のすぐ脇には、墨で清した定価表を貼りしてある。
私は今朝起きてから、もう度もその数字を指先でなぞって確かめていた。
違ってはいない。本入りでいくら、本入りでいくら。暗算もできる。それでも、胸の奥のざわめきはおさまらなかった。
「母ちゃん、まだけないの?」
奥の暗い茶のから、息子の勇がひょっこりと顔をした。
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先歳になったばかりの、伸び盛りの男の子だ。つむじの周りに寝癖がねている。
「もうけるよ。勇、学の支度は済んだのかい?」
「うん、僕もけるとこ見てていい?」
「支度が本当に終わったんならね」
「終わった、終わった!」
そんなはずはないとって背へ回ってみると、案の定、茶の革ランドセルの蓋がだらしなくいたままだった。
「ほらごらん、箱も板も入ってないじゃないか」
「あ、忘れてた」
勇はを掻きながら、慌てて奥の部へと引っ込んでいった。
私は苦笑いをこぼしながら、さな窓の枠に両をかけた。
この窓を切ってもらう、所のさんから「未がやるにしちゃあ、ちょいとが狭すぎやしないかい。もうしきくけてやりなよ」と親切に言われた。
けれど私は、頑なに首を振ってこの寸法にしてもらったのだ。
繁盛するようなきな商売をちげたいわけではない。煙と切を商いして、息子と、にろ指を指されずに細々とべていければ、それだけで分だった。
枠を両で押しげる。
カタン、と乾いた軽い音が響いた。
先のひんやりとした朝の空気が、部のへすうっと流れ込んできた。
たったそれだけのことなのに、臓が鐘を打った。
通りを自転でってきた男のが、窓のいたがを見て、キィと甲いブレーキを鳴らした。
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毎朝、駅とをき来している運送の若い衆だった。
「あれ? 母さん、ここ、煙になったのかい?」
「はい。今から細々と始めました。よろしくお願いします」
「へえ、そりゃ助かるや。ちょうど切らしてたんだ。つもらおうかな」
「ありがとうございます。何にいたしましょう」
「ピース」
私はガラスケースのにそっとを伸ばした。
紺にの文字。オリーブの枝をくわえたい鳩が描かれた、洒落た箱。
昨の夕暮れ、何度も指先で埃を払いながら棚に並べ直した、あの番気の品だった。
差しす指先が、目に見えてかすかに震えた。
「はい、ピース箱でございます」
両で差しすと、男のは作業着のポケットから円玉を数枚取りし、製の渡し台のにチャリンと置いた。
「おめでとう。頑張りなよ!」
そう言ってい歯を見せ、片をひらひらと振りながら、再びペダルを力く漕ぎしてりっていった。
私はしばらくの、台のに残されたの貨を見つめていた。
夫をくし、をてから、誰のも借りずに自分の力だけで稼いだ、最初のおだった。
たった円の、巻き煙箱。
それでも私にとっては、これから先の暗を照らす灯のように、途方もなくく、尊い歩だった。
「母ちゃん! 売れたの!?」
いつのにかランドセルを背負い直した勇が、に駆け寄ってきていた。
「売れたよ。最初のお客さんだよ」
「いくら? 何が売れたの?」
「ほら、詮索しないの。もう半を回るよ、遅刻しちゃうよ」
「ちぇっ、見せてくれたっていいのにさ」
勇は満そうにを尖らせながらも、玄関の引き戸をけた。
をる直、ふと振り返り、け放たれた煙のさな窓のから、首を伸ばして私を覗き込んできた。
「母ちゃん、ってきます!」
「はい、に気をつけて。ってらっしゃい」
そのさな背がの角を曲がっていくのを見送った瞬、私の胸に、の同じの朝の景が、鮮烈な痛みとなって蘇ってきた。
夫がをていったあのも、今と寸分違わぬ、澄み切った青空の広がるの朝だった。
夫もまた、玄関で靴を履き、「ってきます」とく告げてていった。
ただあのと違うのは――夫はあの言を残したきり、度とこの町のを踏むことがなかったという、その点だけだった。