"昭和46年、三日で逃げ帰った兄と消された就職記録" 第12話
戻ってきた理由
平成の、ノ瀬駅の業周展示は無事に終わった。就職列の写真について、町は説文を正式に訂正し、資料目録にも注記を残した。昭に旅ったのうち、陽精器へ正式に入社したのは。残るについては紹介類に相違があり、うち複数の関係者から事説と異なる就業の証言が得られた、と。
先の陳述、当の案内状、陽精器の回答、丹羽旧蔵の帳面、平田さんらの証言は、同が得られた範囲で写しを保した。健康報や個の所は公しないことにした。丹羽弘からは再び抗議が来たが、町は具体な史料に基づく訂正を取り消さなかった。誰かを犯罪者と決めつけるためではなく、誤って記録されたのを直すためだと説した。
古い賃や保証については、今からすべての支払先をらかにすることはできなかった。昭の取引に、どこまで法責任を問えるのかも、別の難しい問題だった。私は、その限界を報告から消さなかった。分からないことを分からないとくのも、資料を残す仕事だとったからだ。
それでも、確かめられたことはきかった。兄は陽精器の職からで逃げしたのではない。そもそも約束された会社へ入っていなかった。
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平田さんの怪をらせるため、そして次に旅つたちへ警告するため、に戻った。翌週のは就職先を再確認し、予定の変更をした。兄の申てを受けて、学側も就職先の確認にいた。これらは複数の資料と証言で裏づけられた。
私は調査の報告をまとめ、駅の展示記録の最にい文章を添えた。
原稿をくに、私はもう度最初の写真を見た。ノ瀬駅のホームにはが並び、い布を持った見送りの母親たちが写っている。兄の隣で平田さんが笑い、さんは緊張した顔をしている。写真を撮ったは、彼らの未来をるはずがない。報に記事をいたも、悪があったとは限らない。それでも、確かめずにいた「全員が同じへ就職」という文が、の々に事実として受け取られた。
私は、この町にむ誰かが何に同じ写真を見ることを像した。そのには、兄の名を見て「逃げた」とうに、ち止まれる材料を渡したい。過を美しく飾るためでも、昔のをまとめて悪者にするためでもなかった。度貼られた言葉を、確かめ直せる町であってほしかった。
『駅からていったの記録は残りやすい。しかし、戻ってきたがなぜ戻ったのかは、残されないことがある。昭、歳の岸田正男さんは、で故郷へ戻った。
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そのはく「逃げ帰り」と呼ばれたが、資料は別の事実を示している。彼は就職先の相違と同僚の負傷をらせ、に発する者たちへ警告するために戻った』
私は原稿を兄へ見せた。兄は最初ので笑った。「げさだな」。
「変だったら直すよ」
「いや……このままでいい」
兄は最まで読んでから言った。「俺は、あのとき怖くて逃げたかった。それも本当なんだ」。
私は頷いた。「だから、それを隠さなくてもいいとう。怖かったのに、にらせた。それで分だよ」。兄は原稿をつ折りにせず、机に置いた。
がけるころ、母は兄へ葉をき始めた。はじめは正の挨拶だけ。次は庭で採れた根の話。その次には千の子どもが学へ入る話をいた。兄から返事が来ないもあったが、母はき続けた。あるの、兄から初めて葉が届いた。『根、まだあるならしほしい』。母はそれを読んで、しばらく泣いた。
「母ちゃん、持ってく?」と千が尋ねると、母は首を振った。「まず返事をくよ。勝に押しかけちゃいけないから」。母も、ようやく相の気持ちを確かめることを覚えたのだ。
私は自分の暮らしへ戻った。展示が終われば図には毎の仕事が待っている。返却された本を棚へ戻し、子どもたちに調べものの仕方を教える。私は以よりも、何かを尋ねる子の声を最まで聞くようになった。
「どうして」と聞かれたら、っていることを答え、らないことは緒に調べるようにした。それは、、兄がのたちにしてほしかったことなのだとう。
ある、材へ兄を迎えにくと、若い作業員が履歴をに困っていた。都会のへ移るつもりだが、寮費や残業の条件がよく分からないという。兄は、事務机ので求票を広げていた。
「会社名だけじゃなく、実際に働く所を確かめろ。与から何を引くのか、面でもらえ。分からなければ、先方へ直接聞け」
作業員が笑った。「正男さん、細かいですね」。
兄も笑った。「細かくていいんだ。ってから違ったじゃ困るだろ」。
その横顔を見て、私は胸がくなった。兄は自分の過を語りたがらない。けれど、同じように故郷をる若者には、っていることを伝えようとしている。そのつきは静かで、押しつけがましくなかった。
帰り、兄と私はノ瀬駅へ寄った。ホームの根は修理され、昔と違うベンチが置かれていた。昭にで見げた刻表はもうない。くのは変わらず、夕方のだけがたかった。
「兄ちゃん、あのは本当に、次の列の刻を聞いたんだね」
「ああ。にうか配でな」
「母ちゃんのところへ帰るに、駅員さんへ聞いてたんでしょう」
兄は頷いた。
「まず、次の子がいつるからなきゃとったんだ」。
私はホームの端を見た。に見送られたが、らない町から独りで戻り、に入るより先に次の発を配していた。みんなはそのを、根性なしの逃者と呼んだ。私は、その言葉を、否定できずにいた。
「美枝、もう昔の話はいいよ」と兄が言った。
「うん。でも、つだけ言っていい?」
「何だ」
「帰ってきてくれて、ありがとう」
兄は驚いた顔をした。それから子をかぶり直した。「なんだよ、今さら」。私は笑った。兄も、しだけ笑った。
駅の向こうで、さな列の音がした。私たちはベンチからちがった。兄は私の荷物を持とうとしたが、私は首を振った。「自分で持てるよ」。兄は「そうか」と言って先を歩いた。のように、もう見失いそうになるまで背を追う必はなかった。歩けば、追いつける距にいた。
昭、兄は故郷へ戻った。そのことだけは、ずっと変わらない。変わったのは、私たちがその帰郷をどう呼ぶかだった。
私はもう、『で逃げ帰った兄』とは言わない。
あの、兄はらせに戻ってきたのだ。
(完)