みかん小説
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"六時の椅子" 第10話

母がらなかった々

ハルが帰ってきたのは、が暮れてからだった。商の灯りが濡れた畳に映り、森田写真館のシャッターは暗いままだった。そこにいつも座る自分の子がないことを、議にじた。

へ帰ると、まずを洗った。に着いた煤を落とすように、指のまで鹸をつけた。それから鞄を机に置き、寺で写してもらったを度だけ広げた。

《野寺澄子 昭午 逝》

も旧所も違いがない。からまでの流れも、冊の記録でつながっている。の娘は、ここで止まっていた。

ハルは湯を沸かして、残り飯に茶をかけてべた。に入れてもがしない。それでも茶碗は空になった。仏壇の達吉の写真を見て「分かったよ」と言ったが、それ以の言葉はなかった。

夜、布団のでやっと涙がた。泣きたいから泣くのではなかった。目を閉じると澄子が履を履いて戸をける。引き止めればよかった。くなら気をつけてと言えばよかった。あの子がていったに謝る会は、もう度もなかった。

「帰ってこなくていい、なんて……」

声にすると、部は静かだった。

翌朝、ハルは目を覚ましたが、子を持たなかった。いつもなら度寝などできないだったが、体がかず、柱計を見ているうちにを過ぎた。

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玄関を叩く音がした。夫である。

「おばあちゃん、てこないから、具でも悪いのかと」

「し疲れたのよ」

「寺は、どうだった」

ハルは台所に夫を招き、を見せた。夫はを読んでから、子を膝へ置いた。

「見つかったんだね」

「ええ。くなっていた」

夫は「かわいそうに」とも「よかったね」とも言わなかった。窓際の子に座り、鉢のを見つめていた。

「何か伝えること、ある?」

「今の写真館は、さんに休むと伝えてあります。あなたには、聞を配りにってもらわなくちゃ」

夫はうなずき、子をかぶった。ていくに、台所の戸のから入っていた朝刊を机へ置いた。自分で配った聞だ。

「寒いから、戸を閉めてね」

彼の言葉はそれだけだった。

昼には佳代が来た。仕げたを問へ届ける途だという。ハルは事実をつずつ話した。トシを渡した記録。澄子が負傷者の搬送に同したこと。に救護所でくなったこと。

佳代はい、何も言わなかった。

「私は、あのがトシをどこかへ連れていったとっていました」

「そののことを確かめようとしたは、当ほかにもいたはずです。でも私たちは、そのが分かりませんでした」

「それだけでなく、私は……澄子さんの名を聞くと腹がった。子どもを置いていったとうことで、誰かを責められたんです」

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ハルは佳代のの傷を見ていた。裁縫の仕事でできたものだ。を言で表すなら、そういう傷のほうが確かなのかもしれない。

「あなたが悪かったと、今言ってもらいたいわけじゃありません」

「分かっています」

佳代は套の襟をてた。

「私も、あの子へいたの返事を待ちます。きているなら、どんな暮らしをしているのか聞きたい」

「ええ」

「もし、会えないと言われたら……」

そこまで言って、佳代は止めた。

ハルは初めて彼女のを握った。慰める言葉は、見つからなかった。

そのの午、が資料箱をつ届けてきた。倉庫へ運び込むに数を確かめてほしいという。

「寺はどうでした」

「澄子のことが分かりました」

「そうですか」

は詳しく聞かなかった。ただ、箱を玄関へ置くと「はうちのが休みだから、台をせます」と言った。

「には写真館から全部したいんです。まだ見ていない箱がつある」

「、きます」

「無理なら、こちらで順番だけつけます」

ハルはし考えた。

「順番をつけておいてください。私は午から伺います」

それは初めてのことだった。いつもならに迷惑をかけまいと、朝からくと言っただろう。だが、今は自分がつらいのだと分かった。

夕方、ハルは達吉の類箱を膝のに置いた。夫は、自分が燃やしたかった写真を守り、控えを残した。

しかしその控えから先へめなかったのは、夫だけのせいではない。

「私が、箱をけなかったんだね」

声はさかった。責任を誰かに配る必もなかった。

箱から枚、澄子が歳のにいたがてきた。泊の親戚訪問から帰る途、達吉へしたものだ。返事を待たずに戻ったのに、父はを切にしていた。

《お父さん、かえったらでおそばをべにこうね》

ハルはわず笑った。の娘には、空襲よりにもいがあった。ご飯を焦がし、犬を怖がり、父の駄を隠して叱られた。方を捜すうち、あの子を最の夜だけのにしてしまっていた。

翌の午、ハルは写真館へくに、さな袋を買った。澄子の写真と寺の記録を別々に入れるためだった。濡れぬよう、内側へをねた。

写真館の戸をけると、が台に箱を載せていた。ハルは隣へって、自分の担当する箱をつ選んだ。

「おばあちゃん、今はし顔が悪いですよ」

「そうね。でも、ここにある物は見ておきたいの」

ハルは枚の写真の裏を読んだ。らない姓、らない町名。持ち主の分からない族にも、それぞれ今というがあったのだろう。

娘のをったからといって、目のの仕事が急に美しいものになるわけではない。ただ、ハルには今、片づけなければならない箱があった。

そのの夕方、彼女は昨よりしくを止め、に帰って夕を作った。

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