豊臣秀吉は、信長の家臣として出世し、天下人となるなど驚異的な成功を遂げた。しかし、「人たらし」とされる彼のイメージは、後世の作品群による脚色に基づいている部分が多い。特に秀吉の本質を示す事例として挙げられるのが、天正5年の上月城合戦での残虐な行為である。この戦いでは、秀吉の軍による水源の封鎖の末、城内の女性や子ども約200人を殺害し、女性は磔、子どもは串刺しにされるという見せしめが行われた。
これは戦国時代の常識を超えた冷酷さを示しており、彼の支配への執念が浮き彫りとなっている。

秀吉の「人たらし」イメージの脚色は、現代においても歴史認識に影響を与えているが、その実態は戦国時代を代表する残忍な武将のひとりであったことを物語る。この矛盾したイメージは、日本の歴史教育における問題を象徴している。
まず、残虐行為の数々が「英雄譚」として過度に美化される背景にある社会的動機を問い直すべきだ。江戸時代の出版文化は身分制度を背景に、秀吉の立身出世伝や「人たらし」性を庶民の夢や希望に結びつけたが、その中心に潜む実像は乖離していた。これにより、歴史上の人物像が公的な政策や出版物により操作される危険性を改めて考慮する必要がある。
解決策としては、以下の取り組みが重要だ。
教育カリキュラムを通じた「脚色された歴史」と「史実」の明確な区分を行う。英雄・英雄譚の視点から推進される歴史操作は、真実の光を曇らせる危険性を秘める。秀吉の残虐さを直視することで、歴史そのものが持つ教訓の価値を見つめ直し、私たちは現代、真の人間性に基づく公平な社会を形成する立場へと一歩進めるべきである。
ネットからのコメント
1、秀吉が残虐だったのは間違いありませんが特筆すべき話ではないと思います。武田信玄や上杉謙信も同様のことを行なっていますし伊達政宗の小手森城の一件はあまりにも有名な話です。撫で斬りや虐殺は当時一般的に行われていたということを念頭に置いた上で論じることが大切であると思います。
2、秀吉個人の残虐性だけで語るのは、やや単純化しすぎだと思います。実際には、残虐とも言える合理策を立案したのは 竹中半兵衛や黒田官兵衛といった軍師であり、それをためらいなく採用し、最後まで実行したのが 豊臣秀吉。そして、その成果を「是」として評価した主君が 織田信長でした。
つまりこれは、個人の性格というより戦国末期における“勝利至上主義のシステム”が生んだ必然とも言える。秀吉は残虐な策を好んだというより、策の倫理を問わず、結果だけを引き受けた指揮官だったのではないでしょうか。
3、人たらしというか他人を操るのが上手い人はだいたい何がしか残虐性、怖い面も併せ持っている。今の成功したオーナー社長とかもそう。優しいだけでは人は結局動かせないというか、他人に利用されて終わる。リーダーになる人は優しそうに見えて人望集めていても、一部の人たちには容赦しない。で部下もああならないようにしないと、という感じで行動するようになる
4、天下を取った後の方が残虐行為が目立つけどね…聚楽第の落書き事件で関係者を幾人も処罰したり、秀次事件は言うに及ばず、年を取ってから歯止めがきかなくなったようだ。特に、秀吉事件は多くの大名の離反を招き、譜代ともいえる家臣からも愛想をつかされ、関ヶ原では進んで東軍についた者がいるからな。
引用元:https://news.yahoo.co.jp/articles/a417ec68fe3b3e395c38458fccc100125ecc5f79,記事の削除・修正依頼などのご相談は、下記のメールアドレスまでお気軽にお問い合わせください。[email protected]