事件概要:広島・長崎の国立原爆死没者追悼平和祈念館に寄せられる被爆者の手記が、近年急増している。広島では2024年4~7月の間、昨年同期比で約2・5倍の増加があり、手記の数は60編に達した。長崎でも同様の増加が見られ、2024年度には81編に達した。これは、被爆者の平均年齢が86歳を超え、体験を後世に残す動きが強まっているためとされている。
全国的には、2025年の被爆80年を迎えるにあたり、厚生労働省が体験記を募っており、世界的な核使用危機もこの動きに影響を与えている。両館にはそれぞれ広島で約15万編、長崎で約13万編の手記が所蔵され、閲覧も可能となっている。
コメント:このような動きは、被爆者の高齢化とともにますます重要性を増しています。原爆の悲惨な経験を直接語れる世代が減少する中で、その体験を記録として残し、次世代に伝えようとする努力は、非常に価値あるものです。しかし、同時に私たちが抱えるべき課題も明らかになります。過去の記録を残すだけでなく、これからの時代における核兵器の使用に関して、何をどう伝え、どのように防ぐのかを真剣に考えなければなりません。原爆の影響を経験した人々の声を、ただの歴史の一部として消費するのではなく、その声が持つ警鐘としての意味を深く受け止め、核廃絶に向けた真摯な行動を起こす必要があるのです。
ネットからのコメント
1、被爆された方がご高齢になり、体験を語り継ぐ最後の世代となる中、ご自身の辛い記憶を掘り起こしてまで後世に伝えようとしてくださる思いには感謝しかありません。資料館に寄贈される手記は当時を生きた証であり、世界情勢が不安定な今だからこそ、原爆の恐ろしさや平和の大切さを実体験から学ぶことができる貴重な証言です。戦争や核の悲惨さが、広く後世に語り継がれていってほしいと願います。
2、私の母方の祖父母は長崎で被爆していた。また父方の祖父母や親類の多くは満州からの引き上げを経験していたので、子どもの頃は双方からいろいろな話を聞くことができた。それから30年余り経ち、40代になり、両方の祖父母に満州生まれの父まで鬼籍に入ったが、いまさらながら貴重な話を聞いていたのだなと実感するようになっている。体験記や手記は私たちより下の世代、必ずやってくる直接体験者の話を聞けなくなる世代に対する貴重な資料であり、国や行政をあげてきちんと整理保管してほしい
3、祖父は帰還兵でした。戦後、亡くなった戦友の親族を訪ね歩き、託された物や持ち帰った物を渡したと祖母から聞きました。
そして、戦争で経験した事を手記する集いがあった様で、その冊子のオリジナルもどこかに寄贈されているそうです。家族で伝えていく事も大切ですが、より管理のよい環境で保管してもらえる事は、これからの時代重要だろうと思う。そして、これからの世代に戦争経験がない事を切に願います
4、僕は団塊ジュニア世代だが、僕らの世代がギリギリ戦争の実体験が聞けた世代ではないかと思う。小中学くらいまではその辺の爺さん婆さんでも戦争の記憶がある人はザラにいたが、今となってはもう身の回りを見渡してもその世代はもういない。我々がその記憶を受け継いで次の世代に伝えて行かなければならないが、所詮は聞き覚え。実体験がないからリアリティがない。この先さらに戦後100年になった時には完全に歴史上の出来事になっているのだろう。未来の世代にどうやってリアリティを持って伝えていくのは本当に難しい問題だと思う。
引用元:https://news.yahoo.co.jp/articles/46812d7e9ef0e064e719199ea92d011969814e1a,記事の削除・修正依頼などのご相談は、下記のメールアドレスまでお気軽にお問い合わせください。[email protected]