事件概要:
かつて日本全国で青少年の旅を支えた「ユースホステル」は、1970年代の最盛期には587軒、年間宿泊者数は340万人超に達していました。しかし2024年には全国でわずか124軒、宿泊者数も約26万人と激減。特に北海道では最盛期の97軒から20軒にまで減少しました。
背景には宿泊施設の多様化、相部屋や集会といった独特の文化の敬遠、そしてコロナ禍での他人との空間共有への忌避が挙げられます。日本ユースホステル協会は、ひとり親家庭や障害児への支援を続ける一方で、若者に「旅の選択肢が広がるのは良いこと」と前向きな姿勢を示しています。
コメント:
若者の自立心や交流を育む貴重な場だったユースホステルが、わずか数十年で風前の灯となった現実には、ただの流行の移ろいでは済まされない深い問題が潜んでいます。旅の精神を支えてきたこの仕組みは、低価格と共同体験を通じて社会性や多様性を学ぶ場であり、単なる宿泊施設ではありませんでした。それが市場原理と利便性、そして「個室志向」といった文化的風潮の中で駆逐されている現状は、社会が育てるべき価値を見失っている証左でもあります。
現状を打開するためには、①教育との連携による修学旅行や体験学習の拠点化、②地域再生と結びつけた滞在型観光との融合、③自治体による若年層向け補助制度の創設が不可欠です。利便と孤立のはざまで、旅の本質は見失われていないか──「効率」では得られない経験が、かつてそこにはあったのです。
ネットからのコメント
1、1970年、大学3年生の夏休み、ユースホステルを使いながら道東を一人旅しました。私と同年代の若者で溢れ、もともと恥ずかしがり屋だった私でしたが、わずか7日ほどの旅で、初対面の人とでも話せるようになりました。この時の経験と自信は、その後の留学や結婚につながり、人生を変えたと言っても過言ではありません。ユースホステルと一人旅を勧めてくれた友人に感謝しています。
2、日本では利用した事がありませんがその昔学生時代ヨーロッパをユースホステルを転々としながら旅行しました。連日相部屋なのに若さと海外旅行の楽しさで全然平気でしたねえ。部屋は男女で分かれていて、貴重品はロッカーに預けて、8人部屋くらいが多くてたまに広ーい大部屋もあった。
日中何時間かは入室できない所が多かった。ミーティングはなかったです。スマホがない時代は宿泊者同士で情報交換しないと分からない事がたくさんあるので積極的に話しました。今は交流の必要が少なくなりましたが若い人には利用してみて欲しいですね(若くなくても利用できます)
3、大学生の時に北海道や西日本一周した時にお世話になりました。とても楽しかった。たまたま宿泊客が少なくて、お寺の本堂みたいな広さの和室に1人で寝たり、北海道では次の目的地まで近いと一緒に移動したり、楽しかったな。いつか子どもの手が離れたら礼文島のユースホステルにまた泊まりたい。礼文島縦断ツアーでまた従業員さんに出迎えて貰いたい。まだあのノリでやってるかな。
4、イギリス、オーストラリア、スペイン、ニュージーランドの一人旅行をしたときはユースやバックパッカーだったなあ。値段が安いから使った。ドーミトリーは海外では男女が一緒で気を使ったなあ。男女別がいい。まあいろんな国の者と話ができたからよかった。物が盗まれる可能性があるから用心をしなくてはならない。
イギリスのユースで偶然同じ部屋になった日本人が盗難にあってきっちり日本の円の現金を盗まれたとか言っていたのを思い出すなあ。海外では用心しなくてはならない。
引用元:https://news.yahoo.co.jp/articles/70c0c76c9d252a30ab516d8051af4fe4567a3b52,記事の削除・修正依頼などのご相談は、下記のメールアドレスまでお気軽にお問い合わせください。[email protected]