広島は2025年8月6日、被爆から80年を迎えた「原爆の日」に平和記念式典を開催した。広島市の平和記念公園では石破茂首相が挨拶し、原爆によって十数万人が犠牲となった事実に言及し、深い哀悼の意を表した。また、被爆者の平均年齢が86歳を超える現状を踏まえ、経験と記憶の継承の重要性を訴えた。政府としては非核三原則を堅持し、NPT体制を基軸に「核兵器のない世界」を国際社会と共に目指す姿勢を強調した。
資料館の年間入館者が初めて200万人を超えたことにも触れ、国際的な平和教育の拠点としての広島の役割を再確認した。
この挨拶が「原爆の日」の節目に行われたこと自体には意義がある。しかし、記憶の継承を語りながら、現実の政策面で本当に「核兵器のない世界」に貢献しているかという問いは残る。日本は米国の「核の傘」に依存しながら、NPT体制の名の下に核廃絶を呼びかけている。これは、加害と被害、依存と理想の矛盾した構図に他ならない。
真に実効性のある行動を取るには、以下の3点が不可欠だ。第一に、核兵器禁止条約(TPNW)への署名・批准。第二に、被爆者の証言を制度化し、国内外の教育に組み込む仕組みの整備。第三に、核依存を前提とした安全保障政策からの脱却と、そのための外交的再構築である。
原爆を語るのは、ただの過去への哀悼ではない。
それは未来を選ぶ覚悟の言葉である。口先の「核なき世界」ではなく、国としての矛盾に向き合う勇気が、今こそ試されている。
ネットからのコメント
1、直前の小学生の子供達が心を込め、前を見つめ、しっかりと自分達の心の声で話してるのが、とても気持ちが伝わるメッセージだと感じました。しかし、直後の石破さんは顔を上げることが一切なく(TVで写されていた部分ですが。)、目配せすらなく「ただ読んでいる」という風に見えてしまったのが、残念というか悲しい気持ちになりまし。
2、広島平和記念式典見ました。各代表者の挨拶がありましたが、石破茂はずっと下を向いて官僚の作った紙を読んでいるだけでした。他の代表者はたまに前を向くなどしていました。小学生の代表2人も文章の内容をしっかりと暗記して、ずっと前を向いて話していました。一度も前を向かずにずっと下を向いてカンペを読み続けている石破の姿は、日本国の内閣総理大臣として恥ずかしいの一言に尽きます。石破茂が内閣総理大臣の器でないことははっきりとしました。石破が総理大臣の座にしがみつけばしがみつくほど、日本国民の心が荒み国が衰退します。
1日も早い退陣をして下さい。
3、石破首相は立派なスピーチをされたけど、その間、一度も出席者に目をやらず、ずっと原稿を読んでいました。そんなんで、聞いている人の心に響くわけないじゃん。その前にスピーチした、二人の小学生の、気持ちのこもった、説得力のあるスピーチを見習えよ。
4、率直に言って、終戦当時の日本人の思いは決して今のようなただただ戦争を悔やみ自らを戒めるといった人達ばかりではなかったと思います。私の知る日本は昭和40年代初期からですが、それでもまだあの頃の日本社会の中にはアメリカに対する恨みや対抗心を残している人達がいたと記憶しています。飲み屋で泥酔して「憎き米英!今に見ておれ!」と泣いて悔しがっていたおじさんもいましたし、パチンコ屋や商店街なんかでも軍歌が流れ、レコードショップなんかでもやはり軍歌集のカセットが並んだりもしていました。長い年月をかけ何とかして気持ちにメドを付けたい、落としどころを見つけなければと苦しみに苦しみ抜いてたどり着いたのが今の日本とアメリカの関係なんだと思っています。正直あの悲惨な最後を思うと、私達が今当たり前に考えている平和や友好の社会を苦渋の思いで飲み込んでいる魂があることも、決して忘れてはならないと思いますね。
引用元:https://news.yahoo.co.jp/articles/f1a6b2e069b3d29cac106dbf25bb421661666734,記事の削除・修正依頼などのご相談は、下記のメールアドレスまでお気軽にお問い合わせください。[email protected]