名古屋市の広沢一郎市長は、南京市との友好都市交流再開に意欲を示した。名古屋市と南京市の交流は、2012年に当時の市長、河村たかし氏の南京事件に関する発言により中断されていた。河村氏は南京事件が存在しなかったのではないかと発言し、中国側から強い反発を受けた。広沢市長は「交流再開は非常に不幸なこと」と述べ、早期の再開を希望している。
南京事件については政府の見解を踏襲し、「諸説ある」とし、敏感な問題には触れない姿勢を示した。8月末に南京市を訪問予定で、親書を託す予定もある。
コメント:
歴史的な事象についての見解が分かれる中で、南京事件に関する議論をどう扱うべきかは慎重に考えるべき問題です。広沢市長が示した「敏感な問題に触れない」というアプローチは、直接的な対立を避け、平和的な交流を重視する姿勢として理解できます。しかし、歴史的事実に関する誤解や意図的な歪曲が存在する場合、それを無視することは問題を先送りするだけです。公的な立場を持つ者が歴史を軽視することは、未来に対する責任を果たしていないと言わざるを得ません。対話と教育の重要性を再認識し、真実を追求する姿勢が不可欠です。
ネットからのコメント
1、事件の事実関係が確認されていないのに交流再開の意欲はいかがなものかと個人的に思います。現状のままで良いと思う。この記事で、中国側は歴史を歪曲しているとかで反発していて交流が途絶えていたのであればあったことを認めるで交流再開となると、日本の国益にも影響すると個人的に思う。
事実関係が確認されていないのに交流再開への意欲はいかがなものかと個人的に思います。
2、途絶えているのはむしろ幸運なことだ。先方から申し出が無い限り相手にすべきではない。こちらから交流再開を求めたら、相手は交換条件として「南京大虐殺の肯定」と「これまでの謝罪」を求めてくることだろう。「いろいろな意見があるというのに尽きる」なんて見解で理解してもらえる相手ではない。市内の親中派に迫られているのかもしれないが、事態をあまりに軽く見過ぎている。
3、広島と長崎に投下された原爆で最大24万人もの尊い命が失われたという試算もある。30万人もの人を通常兵器だけで殺傷するとなるとものすごい時間も必要だし、それこそ疑いようのない痕跡が残ると思うのだが?ジェノサイドがあったとしても、被害者の数は桁が2つくらい違うと思いますけどね。
4、住民への虐殺事件として通州事件のように当時の記録がある一方南京事件はどのような事だったのか記録がない。諸説はあるだろうけど便衣兵との戦闘が住民への虐殺とされるのならばそれは違うかなという感じもする。
今を大事にと交流とは良いのだけど相手があったかどうかわからない過去に縛られていて良好な関係をする気がないのならばやはり距離を置くべきではと思う。
引用元:https://news.yahoo.co.jp/articles/1d411464304f1f5a84a6e66a31905e72affaddfd,記事の削除・修正依頼などのご相談は、下記のメールアドレスまでお気軽にお問い合わせください。[email protected]