橋下徹氏が、16日に放送されたMBSテレビ「おしゃべり小料理ゆみこ」に出演し、名門・大阪府立北野高校での学生時代を回顧した。北野高校は関西の名門校で、京都大学への合格者数で常にトップを争う。橋下氏はラグビー部に所属し、全国大会「花園」に出場するなど文武両道を実践したが、受験直前まで試合があるため、ラグビー部では浪人が一般的だったという。
そのため、学力テストでは「原子力潜水艦」と呼ばれるほど成績は底辺だった。しかし、浪人時代に一念発起し、猛勉強の末、1浪で早稲田大学に進学した。
橋下氏の経験は、時には思うようにいかないこともあると教えてくれます。若者として、自分の限界を感じることがあるかもしれませんが、それは必ずしも失敗を意味しません。橋下氏も高校時代のニックネームが示す通り、成績が振るわず、浪人を余儀なくされた時期がありました。しかし、それを乗り越え、努力を続けた結果、早稲田大学へ進学を果たし、その後弁護士として成功を収めました。失敗を恐れるのではなく、それを学びの機会と捉え、自分ができることを最大限に活かしてください。努力と忍耐があれば、どんな状況からでも前進することができるのです。
ネットからのコメント
1、高校生の時に花園に出場して伏見工業と試合をしたって凄いことだと思うわ。
その当時だからスクールウォーズ全盛期。現役で難関校とか普通に無理です。その点に於いて受験生の励みになればいいと思います。
2、橋下氏の時代は、今よりもっと受験戦争。ただ、受験産業も今のように発達していない。北野高校とはいえ底辺に位置してしまった場合、相当の努力が必要で。その努力が報われる方向性も運しだい。『四通五落』なんて精神論がまかり通っていた。いまでこそ、北野、一浪早稲田は普通と言えるかもしれませんが。おそらく体力勝負だったのかもしれません。部活が役に立ったと言えるのもそのせいでしょうね。後に司法試験合格。安易に地頭が良いという以上の努力をしているんだと思います。
3、地頭が良いのだから一年浪人すればと考える人もいると思う。そこに絶対に合格するんだと言う強い意志が有ったから一年で浮上することが出来たのだろう。後3年間ラグビーで鍛えた体力も貢献したと思う。大学時代は革ジャンを売って結構な稼ぎがあったとか、弁護士時代の茶髪、一度振られても好きな奥様を自分の方に振り向かせ結婚まで繋げるバイタリティー。
若い時から枠にはまらない考え方を聞いていたが其の柔軟な思考が今の橋本氏を作っているのだろう。
4、豊中市から北野に入っているから優秀だよ。中学時代、多分クラスで1番だったと思う。その下なら豊中に行ってる筈だ。潜水艦も浮上したら凄かったって話だよね。濃い学生生活送った人はやはり強いね。
引用元:https://news.yahoo.co.jp/articles/5c47c88c7eed03916e9b59be7e2f0ba2dcd15289,記事の削除・修正依頼などのご相談は、下記のメールアドレスまでお気軽にお問い合わせください。[email protected]