東京都の小池百合子知事は、2023年9月1日に行われる朝鮮人虐殺の追悼式典への追悼文を送らない意向を表明した。これで2017年から9年連続の不送付となる。小池知事は記者会見で、震災による混乱の中で犠牲となったすべての人々に慰霊の気持ちを表してきたと述べ、今後もその考えを変えることはないと強調した。一方、日朝協会東京都連合会などで構成された実行委員会は、毎年9月1日に都立横網町公園で追悼式典を開催しており、過去には歴代の都知事が追悼文を送っていた。
小池氏は2016年に初めて追悼文を送付したが、翌2017年からは送らない方針を続けている。
小池知事の追悼文不送付について、今年もまた同じ選択がなされましたが、この問題の本質は単なる個人的な判断にとどまらず、東京都の歴史的責任をどう位置づけるかに関わる重大な問題です。関東大震災における朝鮮人虐殺は、日本社会の暗い一面を象徴する事件であり、その犠牲者への追悼は単なる儀式ではなく、歴史の反省を示す重要な機会であるべきです。にもかかわらず、過去8年にわたり追悼文の送付を避けてきた背景には、社会の分断を避けるためという名目での曖昧な姿勢が見て取れます。この状況を改善するためには、まず歴史教育を充実させ、差別や偏見をなくすための具体的な取り組みが必要です。加えて、東京都として、過去の過ちを認め、遺族や犠牲者への真摯な謝罪と再発防止に向けた行動を示すことが求められます。
最終的には、過去を背負うことから逃げず、社会全体で反省し、共生の道を模索する時です。
ネットからのコメント
1、個人として思うこととして、追悼文も終戦の日の総理の談話も本当に必要なのか疑問を感じてしまいます。100年目までやるの?いつまでやるの?世界中で現在進行系で戦争や災害や痛ましい出来事が起こっているのに第二次大戦でのことや関東大震災での事案を永遠といい続けるの? 時代も人権意識も教養もどんどんと深まったり幅広くなっているのに。そもそも平和や安全は常日頃からみんなで考えるもので、追悼文の有無が重要ではないんじゃないの。
2、いつまでも過去の出来事・然も曖昧な事について謝罪や追悼行為を蒸し返そうとするのは、寧ろ胡散臭いと思われても仕方がないかと思います。この事を蒸し返すのであれば、彼の国の竹島での虐殺行為についても日本政府は謝罪追悼を要求する権利があると思いますがね。
3、このメディアは都知事が弔意を表さないことを批判することで、間接的に弔意を表すことを強制してますよね。特定の出来事に弔意を表すことを強制することは、憲法19条が保障する思想・良心の自由を侵害する行為です。
憲法で保障された権利を踏みにじるメディアって何なんでしょうか。
4、震災によるすべての犠牲者を追悼している訳なので、特に問題はない。事実関係がはっきりしないことに対しては、それのみを取り出しての対応は難しい。今になって、何か明らかになった訳でもなく、これでよいと思う。
引用元:https://news.yahoo.co.jp/articles/eb0676ccca61ebcb31e7121e8d9c9afc0d70963d,記事の削除・修正依頼などのご相談は、下記のメールアドレスまでお気軽にお問い合わせください。[email protected]