事件概要:
2020年代中盤、アメリカにおいてかつてリベラル支持だった男性層が民主党から離反しつつある現象が起きている。教師やテック系の専門職、父親、アーティストなど多様な層に見られ、投票を控える、あるいは共和党に転向するケースもある。その背景には「男らしさ」に対する過剰な文化的批判や、「ロー・フェア(法戦)」による不公平感、キャンセルカルチャーへの恐怖などがある。
結果として、健全な男性性や公平な司法への信頼が失われ、政治参加そのものを拒む傾向が拡大している。
コメント:
「男であること」そのものが疑問視される風潮──この異常さに、声を上げずにいられるだろうか。かつて進歩的とされたリベラルの言説が、今や特定の性への一方的な糾弾へと変質してしまった。
本質的な問題は、性別を「敵」として構造的に描く語り口にある。健全な男性性までもが「時代遅れ」扱いされ、競争心や責任感すら排除対象となっている現状は、まさに制度的偏りの産物だ。また、法制度を感情や空気で運用する「ロー・フェア」の蔓延は、正義の根幹を揺るがしている。
これに対処するには、①ジェンダー議論における多様な声の平等な尊重、②司法・人事制度における手続き的公正の徹底、③男らしさを単なる攻撃対象ではなく、健全に評価する教育と社会的合意の形成が急務だ。
本来、リベラルとは寛容と多様性の代名詞であるべきだ。その理念を性別という一元的なラベルで破壊してはならない。今こそ、真の共生社会をつくる覚悟が問われている。
ネットからのコメント
1、かなり共感するところの多い記事でした。海の向こうも同じなのですね。私も保守政党に票は入れられないが、一方で現実のリベラル政党も固定的な差別認識を疑う議論は許さないという閉鎖性が強く見られるため、結局どこにも投票できないという状況になってしまっています。リベラリズムの本懐である「多様な立場の表明を保障する。社会構造のあらゆる面を検討対象とする。弱者・強者の固定観念を疑う」という基本スタンスを守れている真のリベラル政党が出てきてくれないかと願うばかりです。
2、先の米大統領選で、米リベラルは「トランプ支持者は『低学歴』で『低収入』な、『田舎や郊外に住んでいる』、『白人』の『男性たち』みたいなのが中心だ」とくり返してました。つまり上記の『』にあてはまる人間をバカにして貶すことで、リベラルな民主党を上流な人たちだとアピールしたのです。……で、たとえばその複数にあてはまりやすい黒人男性や中南米系男性の支持は、剥がれ落ちていきました。他にも米リベラルが好んで使ったのが「女性候補であるハリスを支持しない男性たちは、女性差別主義者だ!」みたいな主張で。そんなをレッテル張りをくり返してれば。そりゃあウンザリして民主党を離れる男性は量産されて当たり前でしょう。ぜんぜん驚きません。
3、長らく男尊女卑の文化が続いた後、逆の方向である女尊男卑になったという形でしょうか。今弱い立場の人を逆に優遇して、結果的に逆差別を起こすことでは、永遠に差別はなくならないと思います。男と女という線を引いて物事を考えるよりも、同じ人間でありまた一人一人グラデーション(男性っぽい感じから女性っぽい感じ)があるというふうに捉えるべきではないかと思います。
実際、それがより現実に即した捉え方だと思います。「男」とか「女」にこだわり過ぎて、出口のないところにはまり込んでいるような感じがしますね。
4、アメリカ社会の方が何でもより極端な事が多いと感じます。アメリカでは男性性に対してのマッチョ信仰が強かったと思います。男はタフガイで、シュワルツェネッガーや、シルベスター・スタローン、クリントン・イーストウッド、ダイハードのジョン・マクレーンの様に強くなければ成らないと言う圧力が強く、アメリカン・フッドボールのクォータバックや、メジャーリーグの選手の様な男性が良いとされて来ました。Σ( ̄□ ̄;) バイオレンスとアクション、家族を守り、戦う父親像と言うのが、ハリウッド映画でも長く描かれて来ました。西部劇の頃からそうです。乱暴なのが男らしいと言う虚像です。 ドナルド・トランプ氏もこうした虚像に習って立ってるのかも知れません。ロシアでもこう言う傾向が強いですね。プーチン大統領もこの様なイメージの上に立ってる気がします。 一方で女性のフェミニズムも過激です。
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引用元:https://news.yahoo.co.jp/articles/29f347140b4e40d797ac5a9e813eb8932465812c,記事の削除・修正依頼などのご相談は、下記のメールアドレスまでお気軽にお問い合わせください。[email protected]