事件概要:
2025年8月10日、広島県の広陵高校は第107回全国高校野球選手権大会の出場を辞退した。この決定は、同校の生徒による暴力行為が原因で、学校側は厳正な対応を取るために辞退を選択した。これに対し、ひろゆき氏(西村博之)は、暴力行為を見過ごした場合でも全員が罰を受けるべきという意見に反論した。
ひろゆき氏は、証拠のない場合には冤罪を防ぐべきであり、法治主義に基づき、全員が罰を受けるべきではないと主張。また、冤罪を許容することに対して批判的な立場を取った。
コメント:
広陵高校の辞退を巡る騒動は、法の基本原則と正義のあり方を再考させる問題です。ひろゆき氏の指摘通り、「疑わしきは罰せず」の精神は法治国家において必須であり、証拠もなく全員に罰を与えるような仕組みは決して容認すべきではありません。暴力行為に対して適切な責任を追及することは必要ですが、無実の者まで巻き込むことは、社会全体の信頼を損なうことになります。
まず、学校側は暴力行為に関わった生徒の行動に対して、個別に処分を下すべきです。次に、学校内での問題を防ぐために、より強化された指導と監視体制の構築が求められます。
さらに、法的に証拠が不十分な場合に全員を処罰することがないよう、制度の見直しが必要です。正当な手続きと証拠を基にしてこそ、公正な社会が維持されることを強調しておきたいです。
ネットからのコメント
1、やってない人も含めて個人個人が罰を受けたのなら冤罪だけど、組織が処分されて直接関与していない人もその影響を受けたということだから、これは冤罪とは違うと思う。会社が不祥事を起こして営業停止などの処分を受け、直接は無関係な社員もその影響を受ける、というのは一般社会でもあり得ることだし。
2、結局、学校側が都合の悪い事を隠そうとしたけど、SNSが投稿されて隠しきれなくなったって事でしょう。一番悪いのは隠ぺい体質が強い学校側では。被害者の人が学校に報告すれば、すぐに学校側が調査して関係者を処分していれば済んだ話を、学校側がうやむやにしようとしたから、うやむやにされたくない被害者側はSNSを投稿したのだと思う。これからの組織運営での隠ぺい体質は、組織を守るどころか致命傷を与えかねないと思った方が良いのでは。隠そうとして真実が分からないから、関係の無い人にまで被害が及ぶ可能性が出るのだと思うけど。
3、疑わしきは罰せずは事実確認が強制的に出来る捜査能力によって得られた証拠に基づく裁判における概念なので、今回の問題に関して使うような概念ではない様に思います。逆に、こういった事が学校内などで起こった場合には必ず警察などの捜査機関を介入させる事を前提にしているのなら、疑わしきは罰せずの概念を持ち込んことも良いと思います。何れにしても今回の事は学校内の事として内輪で処理した学校でよくある隠蔽体質と、同様の事例に関して過去に参加自体を行った学校と今回の様に参加を認めた事例を混在させた高野連や大会本部の指針の曖昧さにも原因が有ります。最近の益々厳しくなっている教育現場における虐めと隠蔽を無くす為、学校は暴力や虐めに対しては隠さず厳しく対応する事で、参加の是非に関して後から叩かれて無関係の生徒が傷つかない様によく考えるべきです。
4、そもそもヒトは生まれながらに自由なはずだが、生まれた社会には先に生まれた人の作ったルールがある。悪事であるか否かは先人の作ったルールに照らして悪いかどうかであって、ルールを無視して、アウトローとして生きる事もできるのだ。
広陵野球部は部員150人を超える大きな組織。全員がルールを守る事でチームの体裁を維持している。バレたバレないではない。チーム内に悪事があった場合、ルールに基づきケジメをつけなくてはいけないのだ。
引用元:https://news.yahoo.co.jp/articles/86694b8fa421c301a9d44935f17e7bf54502abb4,記事の削除・修正依頼などのご相談は、下記のメールアドレスまでお気軽にお問い合わせください。[email protected]