事件概要:1947年7月、シベリアに抑留された元日本兵ら2032人を乗せた引き揚げ船が京都・舞鶴港に到着。台湾出身の元日本兵、呉正男さん(98)は19歳のとき、終戦後にソ連軍に捕虜となり、約2年間の過酷な抑留生活を送った。呉さんがいた収容所では運河掘削作業や電柱設置作業が行われ、極寒の気候と過酷な労働条件で多くが体調を崩した。
食事は十分でなく、回虫が発生するなど健康被害があった。1947年6月、ようやく帰国が決まり、呉さんは「第一大拓丸」で舞鶴港に到着。体重は約60kgから41kgに減少していたが、2年間の抑留生活が「最大の幸せ」と語った。
コメント:呉さんの話は、過去の抑留とその壮絶な体験の記憶が色濃く残るものです。抑留生活で多くの命が失われ、過酷な労働と栄養失調が続く中で生き抜いた彼の強さに、言葉では表現しきれない敬意を感じます。彼の言う「最大の幸せ」は、帰国の希望を持ち続けた精神的な強さや、その中で培った人間的なつながりにあったのでしょう。冷徹な歴史の中で無数の犠牲者がいたことを忘れてはならず、今後もこの歴史を語り継ぐことが、未来の平和を築くために重要だと思います。
ネットからのコメント
1、呉さん、まだお元気でなによりです。
戦時中は日本人として徴用され、兵隊にならされたのに、戦後は日本人でないから一切の補償はない。恩給もない。そんな理不尽と闘ったきたのが呉さんです。日本政府に対し、再三補償を申し入れてきましたが、何一つ聞き入れられていません。現在、台湾と日本の関係は良好ですが、そんな問題もあるということを多くの日本人は知るべきです。
2、満州開拓団がなぜ満州に渡った経緯からソ連が日本と不可侵条約を破り満州へ侵攻を開始した時から開拓団の悲惨な撤回活動戦争終結後の満州に残った開拓団が施設での悲惨な生活や伝染病でどれだけ多くが亡くなった事や シベリア抑留の過酷な労働と生活活動まで是非日本の教育活動で戦争や侵略を反対する考えを持たせる為に教える必要があります
3、ロシアは後だしジャンケンで何が勝利だ?しかも当時遅れていたインフラ整備に、日本兵を60万人も拘留して働かせたのだから、労働勤務料金を請求しよう。韓国が未だに慰安婦問題で請求してように、日本人も請求権利が有るだろう。これは現在の総理も毅然と請求するべきだ。
4、旧日本軍のどうしようもない政治判断や決断力をもっと知らせる努力しないと。なぜ国民をこうも大切に扱わず、人命軽視して処分するかのような指示命令しか出せなかったのか。日本軍という組織を様々な角度から分析して若者にも教えないといけないはずです。
引用元:https://news.yahoo.co.jp/articles/f74718e3babd83b103844b1ed3e8f6d0bdbab8b3,記事の削除・修正依頼などのご相談は、下記のメールアドレスまでお気軽にお問い合わせください。[email protected]