事件概要
2025年8月6日、広島市で80回目の原爆の日を迎えました。1945年8月6日の原爆投下により、広島の街は壊滅的な被害を受け、約14万人が命を落としました。生き残った被爆者たちは心身に深い傷を負いました。ユキエさん(88)は、当時8歳で原爆を体験。
家が倒壊し、真っ暗な中で必死に脱出。途中で父親と再会し、命をつなぎましたが、その後髪の毛が抜け、死亡宣告を受けるほどの重傷を負いました。秀雄さん(83)は爆心地から約1キロの場所で被爆し、命を救った兄の証言を基に体験を語り始めました。今年、ユキエさんは初めて取材に応じ、あの日の記憶を語りました。
コメント
原爆の悲劇は、単なる過去の出来事ではなく、未だに多くの被爆者の心に深い傷を残しています。広島の街が受けた壊滅的なダメージと命を奪われた14万人の数値は、決して過去の話ではなく、私たちが繰り返し思い起こさなければならない現実です。多くの被爆者がその痛みを抱え、命をつなぐ中で、語りたくない記憶を抱え続けています。この状況は、我々が過去の惨劇から何も学んでいない証拠です。
平和を維持するために、核兵器廃絶を目指すこと、教育の場で平和の大切さを教えること、そして何よりも個々の体験を尊重する社会を作ることが急務です。原爆の記憶を未来に伝え、二度と同じ過ちを繰り返さないための強い意思が求められています。
ネットからのコメント
1、「戦争は絶対にしたらいかん。」満州で大砲撃ちだった祖父が三十数年前に言っていた言葉。当時は【戦争の話はつまらない】としか考えられなかったが、今となっては祖父の想いがわかるようになりました。花火大会の日の夜、祖父は敵襲の思い出がフラッシュバックして震えていた。戦争とは人の命を奪い、たくさんの人を傷つけ、理不尽に苦しめます。絶対にしてはならない。この時期になると、日本のためを思い命がけで戦った人の思いを絶対に忘れてはいけないと思い返します。このような貴重な話が出来る方の話はしっかりと記録し、残して欲しいと思います。永遠に日本が最後の被曝国であり続けるためにも。
2、先日、小学生が書く「平和の詩」の展示会があったので観てきた。色々な「平和」があったが、半分くらいの子が「戦争」をワードに入れていた。
平和の対極にあるのが戦争だと表現していた。戦争を体験していない私や、その子供世代までもが「戦争」が起こす平和とは真逆の結果を完全では無いにしても理解している。やはり伝える事は大事であり、教育の重要性を感じました。辛い体験を話すのは簡単ではなく大変な思いであると思う。過ちを繰り返さないため、人間ができることは先人に学び、無駄にせず、成長するとこだ。
3、小さい頃、たくさん戦争の映画や漫画やアニメを見ました。今でも鮮明にその悲惨な内容を覚えています。一生、戦争は恐ろしくて何があってもやってはいけないと刻み込まれました。昨今、国防と言い沢山の兵器を買い、憲法9条を改憲しようとの声があがっています。政治家の1人が日本人も海外に軍を派遣すべきだと話していました。とても残念で恐ろしく思います。年齢が上がり、戦争映画を見ると心が痛すぎて見れなくなりました。幼い頃、若いうちに沢山の戦争体験に触れて、本当に戦争はいけないと心に刻んで欲しいです。
4、前後80年の節目の重要性をよく考えて欲しい。当時生まれた方々でも80歳になり、特攻隊の若い人なら16歳ぐらいで現在96歳。
次の節目となる90年目ともなると、ほぼ当時のことを語って頂ける方は居なくなってしまいます。80年から90年にむけて、大東亜戦争であった事実と、先人達が残してくれたこの日本国を平和で幸福度が高く、強い国として、未来に繋がる事を切に願います。
引用元:https://news.yahoo.co.jp/articles/bb917e05fa0ee88e274fc39a70d2781cc214e9c6,記事の削除・修正依頼などのご相談は、下記のメールアドレスまでお気軽にお問い合わせください。[email protected]