"消えた託児代7万円" 第10話
会計を済ませてをる、達夫が最に「俺がもっとく気づいてたら、やり直せたかな」と尋ねた。
私はし考えてから答えた。
「分からない。でも、私はをるに気づいてほしかった」
それが正直な気持ちだった。
帰りのでは、涙はなかった。
代わりに、く肩に乗っていた荷物をようやくろしたような覚があった。
奈と拓也の婚について、私は必以に関わらないつもりだった。しかし幼いクレアの今を決めるで、義実でどの程度預けられていたのか確認が必になり、私は事実の範囲で説することになった。誰かを利にしたいのではなく、私自が経験した活状況をそのまま伝えることだけを識した。
私が残していた簡単な記録は、その際に役った。保育園で働いているせいか、私は体調や眠を把握するために々の予定をメモする癖があったため、「クレア泊まり」「夜泣き2回」「奈迎え翌昼」といった記録がかなり残っていた。それらを並べると、奈が説していたよりはるかにくの数、クレアが義実で過ごしていたことが分かった。
ただし、拓也にも課題はあった。彼自、仕事が忙しいことを理由に、育児の細かな部分を妻へ任せていた期がかった。奈から「実で見てもらえるから丈夫」
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と言われ、それをく確認しなかったことについては、自分の責任だと認めていた。
「俺も、らなかったで済ませちゃいけないとってます」
拓也はそう言い、勤務先と相談して働き方を変更した。残業のい部署から異し、保育園の送迎ができるを増やすことになった。父方の祖父母も、毎任せきりにするのではなく、病気や急用のに支えるという形で協力することを決めた。
私はその話を聞いた、ようやく「助けう」という言葉の本来の形を見たような気がした。
誰かへ全部預けるのではない。
できるが。
できる範囲で。
役割を持つ。
そので。
誰が主に責任を持つのか。
はっきりしている。
それなら。
助けいと呼べる。
奈は当初、クレアとれたくないとく主張した。母親なのだから自分が育てるのが当然だと言い、拓也が親子を引きそうとしているとまで訴えたという。
しかし、母親というそのものより、今定した活を作れるかどうかが問題になった。仕事を失ったの活設計、居、育児の協力体制、これまでどれほど常にへ預けていたのかなど、現実な事がつずつ検討された。
子は「それならうちで緒に暮らせばいい」と提案したらしい。
けれど腰の状態が悪く、クレアを抱くことはできない。
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達夫も自分の仕事を続けながら毎の育児を引き受ける覚悟まではなく、何よりこれまで子が「自分が見ている」と言いながら実際には私へ頼っていたこともらかになっていた。
そので子が、「ゆいちゃんが戻ってくれば何とかなる」とにしたと、から拓也に聞かされた。
私は驚くより、力が抜けた。
そこまで来ても。
まだ。
私が戻る。
という選択肢が。
義母のに。
残っていた。
拓也はすぐに、「ゆいさんはクレアの保護者ではありません。もうあのを提にした話をするのはやめてください」と言ったという。
その言葉を聞いた、私はしばらく何も話せなかった。
族ので初めて、誰かが私を「便利な保育士」ではなく、のとして切りしてくれた気がした。
最終に、クレアは拓也をに父方祖父母の協力を得ながら活することになった。奈との関係についても、完全に断つのではなく、クレアの状態を見ながら会える形をえていく方針になったと聞いた。
私は法な細部までろうとはしなかった。
誰が勝った。
誰が負けた。
という話ではない。
クレアが。
毎朝同じ所で。
して目を覚ませる。
をしたら。
誰かが病院へ連れてく。
母親がいなくても。
父親がいる。
祖父母がいる。
困ったに。
「無料で使える誰か」
ではなく。
責任を持って。
支えてくれるがいる。
それで分だった。
私自の婚も、その頃正式に成した。
類を受け取った、私は仕事帰りに駅のケーキへ寄り、さなショートケーキをつだけ買った。