"欠陥品と呼ばれた歌姫" 第6話
「ママ、もうちょっとこっち来て」
私はその瞬、泣きそうになった。
良が初めて私を「ママ」と呼んだだった。
恵が姿を消してから13が過ぎた。
私は42歳、也は40歳、良は17歳になった。あの頃、らないのではほとんど声をせなかった女は、へ入ってからうことにになり、也が作った曲へ自分でを入れてネットへ投稿するようになっていた。
最初は完全に趣だった。也が仕事用に作ったデモ曲を聞いた良が、「これ私がったらもっといいとう」と軽を叩き、自で録音して画サイトへげた。すると父親譲りの性と透のある声が注目され、つの画が10万回、次の画が30万回と再されるようになった。
「パパの曲より伸びてない?」
良が笑うと、也は「俺が作った曲だから半分俺の柄」と本気で言い返す。私は夕を作りながらの会話を聞き、「とも宿題と締め切りは終わってるの?」とを挟むのがいつもの役目だった。
也の方も、配信楽曲やCM、若アーティストへの提供で収入が定していた。きな芸能事務所に所属せず、自宅の仕事部でほとんどの作業をしているので、所のには相変わらず「で音楽を作っている旦さん」とわれている。けれど若い世代にはTAKAの名をっているもく、先で気づかれることが々あった。
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数、私たちは駅からしれた宅に古の戸建てを買った。防音設備を入れられるさな部があり、也と良は内見したから「ここしかない」と盛りがっていた。私は宅ローンと固定資産税の計算ばかりしていたので、良から「ママだけ現実すぎる」と笑われた。
私自は、昔と同じ元の文具メーカーで事務を続けている。「パパの収入だけでも暮らせるのに」と良から言われたこともあるが、仕事を辞める気はなかった。く勤めた職には友もいるし、自分で働いて自分の料を受け取る覚が好きだった。
何より、私はこのごく普通の毎が気に入っていた。
朝、也が寝ぼけながらコーヒーを淹れ、良が制のリボンを結びながらパンをかじる。夜になればで卓を囲み、学の話、仕事の話、どうでもいいテレビ番組の話をする。25歳の頃の私は、こんな活を自分がにするなんて像したこともなかった。
ある、也が夕の最に「良が卒業するに、ちゃんとした族写真をもう回撮らない?」と言いした。結婚したに撮った写真と同じ写真館で、今度は17歳の良を真んにして撮りたいという。良も「いいね、パパ今度はちゃんとスーツ着ってよ」と乗り気だった。
「じゃあ私も美容ってくる」
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最、こめかみの髪がし気になっていた。普段は自分で染めることもあるが、せっかく写真を撮るならきれいにしておこうとい、昔から通っている駅の美容へ予約を入れた。
その美容は、学代の同級・真由美が夫と経営しているさなだった。級ではないが、スタッフは気さくで腕もよく、私は10以通っている。真由美は私の結婚も良の成もっていて、最では「娘ちゃん、また画で見たよ」と笑うこともあった。
予約は写真撮のになった。
也は午から音楽関係の打ちわせがあり、終わったらで迎えに来てくれることになっていた。良も学帰りに也と流し、そのままで夕飯をべる予定だった。
午2過ぎ。
私は鏡のに座り、こめかみへカラー剤を塗ってもらいながら雑誌を読んでいた。内には静かな音楽が流れ、ドライヤーの音とスタッフの笑い声がいつものように混ざっていた。
入のベルが鳴った。
「いらっしゃいませ」
真由美の声に続き、聞き覚えのある女の声がした。
「え、ここ平の昼ってこんなにいんだ?」
私は、雑誌をめくるを止めた。
13度も聞いていなかったのに、その声だけは瞬で分かった。
鏡越しに入を見ると、の女が受付のにっていた。
肩までのるい茶髪に濃いメイク、きなロゴの入ったバッグを腕へかけ、齢よりし若く見せようとする派な装をしている。