"お年玉泥棒の末路" 第1話
私は直美、35歳。
京の郊にあるさな庭付きの1戸建てで、2歳の夫・修司さん、学2の娘・綾音、そして義母の文さんと4で暮らしています。
このは、私が嫁いでくる5にくなった義父が建てただそうです。古いけれど入れがき届いていて、庭には季節ごとにが咲きます。朝になると文さんが庭にて、やりをしながらの様子を見て、私は台所の窓からその背を見るのが好きでした。
私の性格は、というか控えめというか、あまり自分の見をく言えないタイプです。夫の修司さんも私と似ていて、穏やかで優しいでした。
私たちは、結婚に勤めていた職の同僚の紹介でりいました。初めて会ったは、正直なところ会話があまり続きませんでした。お互いに緊張して、当たり障りのない話ばかりしていたのです。
けれど、好きな説の話になった途端、議なくらい会話が弾みました。
修司さんはヒューマンドラマや歴史ものが好きで、私はミステリー系が好きでした。そこから映画やドラマの話にも広がって、にも共通点がいことに2で驚きました。
その、緒に映画を見にったり、事をしたりするようになり、私が26歳、修司さんが28歳のに結婚しました。
同居することになった義母の文さんも、修司さんによく似た穏やかなでした。
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くものを言うことはなく、いつも相の気持ちを先に考えてくれるです。
結婚して2目に娘の綾音がまれるまでは、本当に静かな庭でした。
赤ちゃんがに来ると、活は気に賑やかになりました。泣き声、ミルクの匂い、さな、夜の授乳。変なこともかったけれど、私にとっては幸せなでした。
私は結婚も仕事を続けていましたが、妊娠をきっかけに専業主婦になりました。文さんはで裁の仕事をしていて、によっては私のお料よりく稼いでいることもありました。
「無理せず、お腹の赤ちゃんを事にして、のんびり過ごせばいいわよ」
文さんは、そう言ってくれました。
私はその言葉に甘えて、事をしながら庭いじりをしたり、文さんからお裁縫を教えてもらったりして過ごしました。
修司さんは役所勤務で、活は定していました。でみ歩くこともほとんどなく、週に2回ほどで晩酌をするくらいでした。私が妊娠するは、文さんと私も緒に、しだけお酒をむことがありました。
「直美さん、授乳が終わるまではね」
文さんが笑って言うと、私はお茶を持ちながら答えました。
「はい。お母さんは気にせずんでください」
そんな何気ない会話を、今でもよく覚えています。
最では、夫婦だけでなく文さんも交えて、配信サービスで映画やドラマを見ることが増えました。
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にも文さんはSFが好きで、修司さんは歴史もの、私はミステリー。好みが違うからこそ、いろいろな作品を見ることになり、それもまた楽しいでした。
そんな穏やかながにも、1つだけきな悩みがありました。
それは、修司さんの3歳の姉、美佐子さんのです。
美佐子さんは独で、実から15分ほどのマンションで1暮らしをしています。結婚に初めて顔をわせた、文さんとは正反対の、かなりきついだという印象を受けました。
私の顔を見るなり、美佐子さんは元を歪めて言ったのです。
「うわあ、なんかなね」
私は返す言葉もなく、ただ曖昧に笑うしかありませんでした。
すると美佐子さんは、今度は修司さんの方を見てで笑いました。
「でもまあ、修司にはお似いかな。ちょうどいいじ」
自分の弟に対しても、見したような言い方でした。
私がさな会社の総務で働いていることをると、美佐子さんは胸を張って言いました。
「私、宿にある都トレーディングっていう商事会社に勤めてるの」
それは私でも聞いたことがあるような会社名でした。当、美佐子さんは29歳くらいだったといます。
彼女はさらに、私を見ながら言いました。
「主婦なんて、無能でも務まるもんね。