"十一年目の父欄" 第5話
祖母としてのを継続に証することが求められた。
戸籍はのまま維持された。
父欄についても、に必な確認と続きがねられた。幸子は窓で何度も説を受け、類をえた。やがて戸籍には、父として浩の名が記載されることになった。
それでも、本には伝えなかった。
伝えるべきだと分かっていた。
けれど、が経つほどに、その言葉はくなった。
幸子の活は具体な数字に置き換わっていった。
の受額。弁当での収入。子どもの医療費。学用品費。毎の収支。赤字にならないよう、ノートに細かくき込み、費を削り、類を回しにした。
息子からの送には、できるだけをつけなかった。
将来の教育費として残したかったからだ。
優太が学入学に体調を崩し、入院が必になったことがあった。医療費の部は保険で賄われたが、差額や通院費は計を圧迫した。
その、幸子は保管していた嫁入りの着物を放した。
いよりも、現実を優先した。
ひなが学習塾に通い始める頃、幸子は自分の薬の量を見直した。血圧の治療薬は定期に処方されていたが、医師に相談し、最限の範囲に調した。
しでも活費を確保するためだった。
弁当での朝勤務は11続いた。盛り付け、包丁仕事、配送の確認。
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齢をねる体には負担だったが、やめる選択肢はなかった。
学事への参加。
保護者会への席。
学説会。
幸子は祖母として席し、必な類に署名した。
話で浩と話す、幸子は活の細部には触れなかった。
「こちらは変わりないわ」
「体は丈夫よ」
「あなたこそ無理しないで」
そう言い続けた。
浩の事業が順調であることを、幸子は誇りにっていた。で信用を築き、会社を拡していることもっていた。
同に、その努力を断させる能性を避けたいと考えていた。
引きしの奥には、戸籍謄本の写しと届の控えが保管されていた。里奈が訪れた当初にいたも、そのままだった。
封筒は封されていない。
11のに、幸子は何度かき直そうとした。
しかし結局、は引きしに戻された。
秘密は図に守られたものだった。
そしてが経つほど、伝えることは難しくなっていった。
あるの午、練馬区学からの帰りで、幸子の識は途切れた。
優太とひなのにわせて迎えにくことは、幸子の常の部だった。特別なことではない。いつものを歩き、信号を渡り、商の角を曲がる。
その途で、界が暗くなった。
元がふっとのき、体から力が抜けた。
気づいた、幸子は病院のベッドにいた。
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診断は確だった。
度の貧血、血圧の、そして脳血管障害のいリスク。
担当医は説を曖昧にしなかった。
「今の活を続ければ、次に倒れた、回復が保証できない能性があります」
静が必であり、労働を減らすことが提だと告げられた。
幸子は入院続きの類に署名しながら、自分の齢を改めて識した。もう70代に入っている。体力は若い頃と同じではない。
けれど、弁当の仕事を減らせば活がちかなくなることも分かっていた。
病で1になるは、これまで先送りにしてきた問題を直させた。
戸籍謄本の写しがに浮かぶ。
優太とひなの名。
父欄に記された浩の名。
現は活が成している。だが、もし自分がになればどうなるのか。法な保護者の実態が曖昧な状態で、政はどう判断するのか。
浩は何もらない。
息子が類を通じて初めて事実をる。
その順序は望ましくない。
幸子は退院、浩へ連絡する決を固めた。
事実を隠し続けることはできない。
説する責任は自分にある。
浩の事業が定した今なら、判断を委ねることができる。
そう考えた。
退院、幸子は弁当に事を伝え、勤務をに減らした。側も幸子の齢と体調を理解していたが、代わりの員は簡単には見つからなかった。
自宅に戻ると、幸子は引きしの奥から戸籍謄本の写し、届の控え、古いを取りした。