"十一年目の父欄" 第3話
幸子はく引き止めなかった。
「体だけは事にしなさい」
そう言って、浩の荷物に薬と本茶を入れた。
アメリカでの活は、像より厳しかった。
言葉の壁。契約文化の違い。現責任のさ。自分の判断ひとつで損失がる緊張。最初の1は、眠れない夜が何度もあった。
それでも、結果が評価される環境は浩にっていた。現監督としての能力を認められ、次第にきな案件を任されるようになった。
3の期限は、最初の契約更とともに曖昧になった。
「もうしだけ」
浩は母にそう言った。
3は5になった。5目には、現法の設に関わるようになっていた。規模ながら公共案件を受け、従業員を雇い、からの信用も得られるようになった。
事業が拡するにつれ、帰国は現実ではなくなった。
自分が抜ければ会社がちかない。
そう考えるのは自然だった。
5はさらに伸びた。
浩は母への送を欠かさなかった。自振込の続きを済ませ、毎定額が母の座に入るようにした。に数回は追加で振り込みもった。
話も定期にかけていた。
「体は丈夫?」
「丈夫よ。こちらは変わりないから」
母はいつもそう答えた。
健康も問題ない。所付きいも問題ない。仕事も無理のない範囲でやっている。
浩はその言葉を、そのまま受け取った。
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送をしている以、最限の責任は果たしている。母が困っていないと言うなら、それ以踏み込む必はない。
そう考えていた。
だが、京都練馬区では、別のがんでいた。
幸子は息子の送に頼り切ることを避けていた。だけではりないと判断し、朝の弁当で補助の仕事を始めた。駅にいで、勤の会社員向けに弁当を並べる役割だった。
体に負担がかからない範囲で働くつもりだった。
しかし実際には、休みはなかった。
11のある点から、幸子の活には2分の学用品費、費、医療費が加わっていた。戸籍の姓は。周囲には「親戚の子ども」とだけ説した。
隣民はく追及しなかった。齢者が孫を育てる例は、珍しくなかったからだ。
学への提類には、保護者欄に幸子の名を記し、続柄には祖母とした。扶養や保険の続きは簡単ではなかったが、幸子は区役所で必な説を受け、類をえていった。
浩はその事実をらなかった。
話で母の声がしかれていても、齢のせいだとった。疲れているように聞こえても、朝の仕事のせいだと受け止めた。
自分の現の問題、従業員の採用、資材価格の騰。
話題はいつも仕事だった。
母が語らない活の細部に、浩は踏み込まなかった。
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「3で戻る」という約束は、期限を失ったまま形だけ残り、11というに変わっていた。
浩が渡米してから4かが過ぎた頃、練馬区のを訪ねてきた女性がいた。
青里奈、25歳。
表は落ち着いて見えたが、玄関先につ彼女の両はさく震えていた。のコートのからでも、妊娠していることはらかだった。
幸子は瞬息をのんだ。
「……あなたは」
「さんのお母さまですか」
里奈はくをげた。
にしていた封筒には、診断が入っていた。そこには、双子であること、産予定がであることが記されていた。
里奈は浩と交際していた過がある。
期はくなかった。けれど、互いに将来をまったく考えていなかったわけではない。浩がへくと決めた、関係は自然に終わったものとして扱われた。
国、連絡は次第に途絶えた。浩の話番号は変わり、メールの返信もなくなった。
里奈が妊娠に気づいたのは、そのだった。
「族には反対されました」
里奈は幸子ので、膝のにをねながら話した。
「未婚での産は認められないと言われました。経済にも支援できないと」
声は乾いていた。泣き尽くしたのような声だった。
勤務していた職も、産の復帰を保証できる状況ではなかった。自治体の相談窓を訪れ、支援制度の説も受けた。
だが、具体な支えは限られていた。
最終に、里奈は児童養護施設への委託という選択肢を考えていた。