"画面の中の失踪少年" 第5話
すべてが、9歳ののを止めたままだった。
事件は未解決のまま、1996の終わりを迎えた。
だが族にとっては、終わりではなかった。
失われた息子を待ち続ける、終わりのない々の始まりだった。
1996から、は容赦なく流れていった。
警察の捜査は形式続いていたが、しい報はほとんど入らなかった。事件はしずつ世の関かられ、報の回数も減っていった。町の々も、最初の頃のように毎その話をすることはなくなった。
だが、のだけは違っていた。
奏太がいなくなったのまま、が止まっていた。
弘はに通い続けた。朝、作業に袖を通し、いつものにをる。仕事では械の音に紛れ、黙々とをかした。だが、ふとした瞬に集が切れた。9歳くらいの子どもを見かけると、胸が詰まった。
同僚が何気なく族の話をするだけで、弘は黙り込んだ。
「うちの息子がさ」
そんな言葉を聞くと、を塞ぎたくなった。
夜になると、弘は居で酒をむようになった。最初は眠るためだった。しでもを空っぽにしなければ、布団に入っても奏太の声が聞こえる気がしたからだ。
しかし酒の量はしずつ増えていった。
由美はそれを止めようとした。だが、自分も壊れかけていた。教員としての仕事を続けていたものの、教につたびに奏太をいした。
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学の児童がさなを挙げる。って廊を曲がる。ランドセルを揺らして帰っていく。その1つ1つが胸に突き刺さった。
夜、由美は奏太の部に入った。
机ののノートをく。そこには、し丸い文字で算数の計算がかれていた。教科の端には、鉛でさなの絵が描かれていた。壁の座ポスターは、とともにあせていった。
由美は何度もその部で座り込んだ。
「帰ってきたら、らないから」
誰もいない部に向かって、そう呟いたこともあった。
祖母の文子は、族ので最もく奏太の帰還を信じていた。
毎朝仏壇にをわせ、昼になると所を歩いた。スーパーの入、郵便局、駅。が集まる所にっては、奏太の顔写真が入ったさなを配った。
「もし似た子を見たら、教えてください」
そう言い続けた。
所の々は最初、文子を支えようとした。声をかけ、励まし、緒に探した。けれどが経つにつれ、事件はにしづらいものになっていった。
それでも文子は、玄関のかりを消さなかった。
「奏太が帰ってきた、暗いと困るからね」
その言葉に、由美は何度も泣いた。
事件から10が過ぎた2006、奏太の部はまだそのままだった。弘と由美は、に1度、事件のに警察署を訪ねた。
「何か展はありますか」
警察官は類を見ながら、いつも同じように答えた。
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「現も捜査を続けています」
その言葉は、希望のようでありながら、族には残酷だった。続いているのにまない。終わっていないのに答えがない。その状態が、族のをしずつ削っていった。
2000代に入ると、インターネットの普及により、全国から報が届くようになった。
「阪のファストフードで似た青を見た」
「名古のゲームセンターに似ているがいた」
「福岡ので見かけた男性が、齢にい」
そのたびに、由美と弘は期待した。もしかしたら。今度こそ。そんないを抱きながら現へ向かった。
しかし、どれも違いだった。
2003には、仙台駅で奏太に似た青を見たという通報があった。2はすぐに駆けつけた。駅構内を歩き回り、通報者から聞いた所へ向かった。だが、そこにいたのは国留学で、奏太とは全く関係のない物だった。
帰りの内で、由美は涙を流し続けた。
弘は何も言わなかった。ただハンドルを握り、だけを見ていた。
その沈黙が、夫婦のに横たわる距を象徴していた。
弘の酒量は増え、体調にも響が始めた。由美は支えようとしたが、自分のもすでに限界にかった。2は互いを責めているわけではなかった。けれど同じしみを抱え続けることは、に互いのさえ苦しくさせた。
2011、祖母の文子がくなった。
最まで奏太は帰ってくると言い続けたという。