"75歳の老婆をと20キロのヒラメ" 第15話
賢治は横を向いた。
また涙がそうだったからだ。
12に入ると、関のはさらにたくなった。
港産の先にも、の魚が並ぶようになった。は末に向けて忙しくなり、観客や常連客で賑わっていた。
ある午、引き戸がいた。
賢治は顔をげた。
浅見さんだった。
以と同じように腰は曲がっていたが、しだけなりが変わっていた。ジャンパーは古いままだったが、靴はしいものに替わっていた。つま先に穴はいていない。
賢治はそれを見て、わず微笑んだ。
「いらっしゃいませ、浅見さん」
浅見さんはさくをげた。
「今は、ヒラメをしだけください」
「しだけ、ですか」
「ええ。堂の子どもたちの分は、さんが取りに来てくれるでしょう。これは、私の分です」
賢治は瞬驚き、それからゆっくり頷いた。
「どれくらいにしましょう」
「2分くらい」
「2分?」
浅見さんはポケットから写真を取りした。
「今は亮平の誕なんです。昔、誕のだけ、ヒラメをし買ってやったことがあって。あの子、本当に嬉しそうにべていました」
その声は寂しそうで、けれど穏やかだった。
賢治は黙って、いちばん良い部分を選んだ。
く、美しく引いたヒラメを、さな折に丁寧に並べる。
代を伝えようとすると、浅見さんは札ではない、し使い込まれた千円札をした。
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「今は、私のおです」
賢治はその千円札を受け取りかけて、を止めた。
「浅見さん、今は俺からです」
「いけません。商売でしょう」
「商売です。だから、これは俺の気持ちです」
浅見さんは困ったように賢治を見た。
賢治は静かに続けた。
「亮平さんの誕なら、のとして、俺にも祝わせてください」
浅見さんの目に涙が浮かんだ。
「ありがとうございます」
彼女はくをげた。
その姿を見ながら、賢治はいしていた。
最初に彼女がへ来た。
破れた靴。
古びた布財布。
20キロのヒラメ。
札の札束。
あのの自分は、彼女を怪しいとった。
怖いとった。
犯罪に関わっているのではないかと疑った。
それは違いではなかったかもしれない。異変に気づくことは、必なことだった。
けれど、その奥にあったのは罪ではなかった。
息子を失った母親の、痛いほどまっすぐなだった。
浅見さんは折を切そうに抱え、をようとした。
その、先にい軽ワゴンが止まった。
と浦がりてきた。部座席からは、堂の子どもたちが数顔をしていた。
「浅見のおばあちゃん!」
子どもたちがを振った。
浅見さんは驚いたようにち止まった。
が笑って言った。
「今は亮平先の誕でしょう。みんなでさなお祝いをしようとって」
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子どもたちの1が、作りのカードを差しした。
そこには鉛でこうかれていた。
「りょうへい先、おばあちゃん、ごはんをありがとう」
浅見さんはカードを受け取った。
指先が震えていた。
しばらく文字を見つめ、それから写真と緒に胸に抱いた。
「亮平……よかったね」
その言を聞いた瞬、賢治の目から涙がこぼれた。
健太も隣で目を拭いていた。
のを通りかかった拓哉、渡辺さん、林さんもを止めた。
誰もきな声をさなかった。
ただ、港のたいので、さな温かい輪ができていた。
浅見さんは泣きながら笑っていた。
それは、初めて見る顔だった。
しみだけではない。
悔だけでもない。
き息子のいが、子どもたちの笑顔のでき続けているとったの顔だった。
やがて浅見さんは、賢治に向かってくをげた。
「賢治さん、あの、警察にらせてくださって、ありがとうございました」
賢治は驚いた。
「俺は、あなたを疑ったんですよ」
浅見さんは首を横に振った。
「でも、そのおかげで、私は1じゃなくなりました」
その言葉に、賢治は何も返せなかった。
胸の奥がくなり、声がなかった。
浅見さんは子どもたちに囲まれながら、ゆっくりいへ向かった。
もう錆びたリアカーではなかった。
い荷物を1で引く必もなかった。
賢治はそのろ姿を、最初のと同じように見送った。
けれど、あのとは違っていた。
痛ましく、奇妙に見えた背は、今はさくても確かなを背負っているように見えた。
夕方の港に、かもめの声が響いた。
のかりがひとつ、またひとつと灯っていく。
賢治は先にったまま、そっと目元を拭った。
75歳の老婆が毎20キロのヒラメを買っていた理由。
それは、罪ではなかった。
に狂ったわけでもなかった。
くなった息子の願いを、母親が命を削るように守っていたからだった。
そしてその願いは、今、町のたちへ受け継がれている。
翌朝、賢治はいつもよりくにった。
槽のでヒラメが静かに泳いでいる。
賢治は包丁を研ぎながら、健太に言った。
「今の堂分、いいところを用しておけ」
健太は笑って頷いた。
「はい、社」
賢治は窓のを見た。
港の向こうから、の朝がゆっくり昇っていた。
そのはたいを照らし、唐戸の根をやわらかく包んでいた。
賢治はので、まだ会ったことのない亮平に向かって呟いた。
「おの願いは、ちゃんと届いているぞ」
包丁がまな板に触れる。
静かな音が、朝のに響いた。
そのもは始まった。
そして、亮平の灯り堂には、温かい事を待つ子どもたちがいた。