"十年目の地下街" 第1話
1985315、曜の午。
京・品川区井町の裏にあるさなアパートで、鈴良子の1はいつも通りに始まっていた。41歳の良子は、所でさな商を営み、夫の哲也と12歳の息子・実と暮らしていた。
のの縁台には、常連の奥さんたちが集まっていた。良子は世話をしながら、折先の商品をえた。先のはまだしたかったが、夕方の町には穏やかな空気が流れていた。
その、アパートの玄関から実の声がした。
「お母さん、ゲーセンってくる」
良子が振り返ると、実はランドセルを背負ったまま玄関の戸をけていた。140cmほどの痩せたで、髪は丸刈りだった。同代の子どもたちに比べるとしい性格で、友達とで騒ぐより、1で本を読んだり、ゲームの話を考えたりすることを好んでいた。
だからこそ、実が自分からゲームセンターへくと言ったことが、良子にはしだった。
「く帰ってくるのよ。7までには戻るのよ」
良子が先から声を張ると、実は軽くをげた。
「うん、分かってる」
その返事を残し、実はの角を曲がっていった。良子はその背をしの見送った。いつもの細い背だった。しかがみで、で歩いていくろ姿だった。
それが、母が見る息子の最の姿になるとは、そのはにもわなかった。
広告
実が向かったのは、学から徒歩10分ほどの所にある「ファンタジーゲームセンター」だった。1980代半ば、ゲームセンターは子どもたちにとってのような所だった。内にはパックマンやギャラガといった筐体が並び、ゲームの子音と子どもたちの歓声が混じりっていた。
実はポケットから100円玉を3枚取りした。1週かけて貯めたお遣いのすべてだった。彼は好きな筐体のにち、貨を入れた。画面ので黄いキャラクターがきすと、実の目は自然と輝いた。
内には、実と同じくらいの子どもたちが10数いた。皆それぞれのゲームにで、互いに言葉を交わすことはなかった。主の田は40代半ばの男性で、カウンターに座り、聞を読みながら内を見ていた。子どもたちが騒ぎすぎると、たまにい声で注する程度だった。
は静かに過ぎていった。
午6を過ぎる頃、子どもたちは1、また1と帰り始めた。実も最のゲームを終えると、空になったポケットにを入れ、に帰る準備をした。お遣いはもう残っていない。母からも7までに帰るよう言われていた。
実がゲームセンターのドアをけようとした、その瞬だった。
「ちょっと、君」
背から、見らぬ男の声がした。
実はを止め、振り返った。
そこにっていたのは、30代半に見える男だった。
広告
スーツを着ていて、髪はきちんとえられている。背がく、なりも清潔で、見すると会社員のように見えた。ただ、笑っているのに目だけがたかった。
男は実にづき、親しげに言った。
「君、ゲームがうまいね」
実は返事に困り、首をし傾けた。
「うちでゲーム会があるんだけど、参加してみないか」
実の胸がしいた。ゲーム会という言葉には興があった。だが、相はらないだった。母からいつも、らないにはついてってはいけないと言われている。
実はさく首を横に振った。
「らないなので、やめておきます」
すると男は、笑いながらに持っていた封筒を見せた。
「これを見てごらん。賞は10万円だよ。君くらいの実力なら、分優勝できる」
1985当、10万円は12歳の子どもにとって像もできないだった。実の1かのお遣いは1000円ほどだった。10万円あれば、族においしいものを買ってあげられる。しいゲームだって買えるかもしれない。
実の目がきくいた。
「本当ですか」
「ああ。でも会はここからしれているんだ。で連れてってあげるよ」
男は優しい顔を作り、実の肩にを置いた。
実はまだ迷っていた。
「お母さんが、7までに帰ってこいって……」
「すぐって帰ってこられるさ。1もあれば分だよ」
男はそう言って、のにめてある黒い乗用を指差した。
トヨタ・カローラだった。