"十三年目の灯火" 第3話
「ほら、あそこの奥さんやで。旦が客を乗せたまま消えたっていう」
「あれ、ほんまは逃げたんと違うか」
「震でもやられて、夜勤も変やったらしいやないの。でも持って、よその女のところへったんやろ」
声を潜めているつもりでも、その言葉は針のように佳代子の胸へ刺さった。
しかし、それはまったくの濡れだった。
会社は、田のあの夜の売をきちんと調べていた。売袋には、1円のもなかった。田はにをつけていなかった。
族を捨ててどこかへ逃げるような男でもなかった。
それでも、噂というものは勝にをやして町を歩き回る。真実とは関係なく、面おかしくからへと渡っていく。
その噂に誰より傷ついたのは、1息子の健だった。
父が消えた、健はだった。な頃だった。学でも、ない言葉を投げつけられることがあった。
「おの親父、持って逃げたんやろ」
そう言われるたびに、健は拳を握り締めた。
言い返したくても、声が喉でつかえててこない。涙をこらえ、ただ俯くしかなかった。
それでも健には、揺るぎなく信じていることが1つだけあった。
父は、決して曲がったことのできないだった。
困っているを見れば、放っておけないだった。
酔った客を辛抱くまで送り、忘れ物をわざわざ届けにく。
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そんな父が、族を捨ててを持って逃げるなど、がひっくり返ってもありえない。
「お父さんは、そんなやない」
健は自分自に言い聞かせるように、何度もそう呟いた。
やがて健はを卒業し、働き始めた。背が伸び、肩幅も広くなり、声もくなっていった。その姿は、いつのにか父の若い頃によく似てきた。
母と2、ひっそりと、それでもまっすぐに、田のは懸命にを向いてきていった。
は流れた。
田が勤めていた港交通も変わっていった。もともと町のさなタクシー会社である。景気がえ込み、客が減っていくで、経営は々苦しくなった。
そして田が消えてから数が過ぎた頃、港交通はとうとうその板をろすことになった。
会社がなくなれば、もばらばらになる。
田をよくっていた同僚たちも、別の仕事を求めて1、また1と町をれていった。あの夜、最の無線を受けた配係の女性も、いつのにか町から姿を消していた。
田を覚えているがしずついなくなる。
事件を語れるが、々減っていく。
それは、田茂という1の男のが、世のから静かにれていくことでもあった。
その頃、刑事の久保にも1つの区切りが訪れた。
定だった。
最の、久保が机の引きしを理していると、古いすり切れた帳がてきた。
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ページをめくると、自分の字でき留めたが目に入った。
「ライトを消した黒っぽい」
久保は、その文字をしばらくじっと見つめた。
解けなかった事件はいくつもあった。
だが、この事件だけは、どうしても胸の奥から消えてくれなかった。
それからさらにが流れた。
2015。
あのの夜から13が過ぎ、神戸の町はすっかり変わっていた。事件のことを覚えているは、もうほとんどいなかった。
その、神戸の町れ、の裾に広がる古い廃が取り壊されることになった。
そこはい、の寄りつかない所だった。役目を終えたを引き取り、解体し、鉄くずにして売る。そういう仕事をしていたである。
しかし、経営者だった黒田という男が何もにくなってからは、を継ぐ者もなく、ずっと打ち捨てられたままになっていた。
錆びついた廃が何段にも積みげられ、さな鉄ののようになっていた。雑はそのから伸び、体に絡みつき、いがそこにり積もっていた。
その荒れ果てたに買いがついた。
をならし、太陽発の設備を建てる計画だった。
のある、が廃のを1段ずつ崩していく作業が始まった。きなクレーンがうなりをげ、潰れたを1台ずつ吊りげていく。
ガシャン、ガシャン。
鉄がぶつかりう音があいに響いた。
何もの当たらなかった廃のが、からしずつくなっていった。