"居候の更地返し" 第1話
「居候は掃除してろ」
朝の静かなリビングに、嫁の里のたい声が響いた。
その瞬、松裕子はにしていた布巾を握りしめたまま、しばらくけなかった。31、護師としてどんな急変にも静に対応してきた。患者の容態が急に悪化しても、泣き叫ぶ族に詰め寄られても、まず呼吸を見て、脈を取り、必な処置を考える。それが裕子の仕事だった。
けれど、今の言だけは、胸の奥を氷のようにやした。
里は玄関先でスーツケースの持ちを伸ばしながら、当然のように言った。
「私たちがハワイから帰るまでに、ピカピカにしといてください。あ、蔵庫の掃除も忘れないで」
その言い方は、族に頼みごとをするものではなかった。まるでみ込みの政婦に業務を命じるような調だった。
隣では、息子の裕がスーツケースのファスナーを閉めていた。裕子は息子の横顔を見つめ、かすれた声で言った。
「裕、私も緒に……」
最まで言わせるに、里がで笑った。
「は? なんでお母さんが来るんですか? これは夫婦のなんです。それに代もホテル代も、誰が払うとってるんですか」
裕は何も言わなかった。
それが、裕子には番こたえた。反論もしない。かばいもしない。ただ黙って、里の言葉を受け入れている。
成田空港までの、部座席の2は楽しそうに旅の予定を話し続けた。
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ワイキキビーチ、ダイヤモンドヘッド、級レストラン、ブランドショップ。裕子は運転席でハンドルを握りながら、バックミラーに映る2を見ていた。
まるで自分だけが透になったようだった。
空港の発ロビーに着くと、裕は荷物をろしながら振り返りもせずに言った。
「じゃあ、ってくるね」
里はブランド物のバッグを肩にかけ、笑顔でゲートの方へ歩きした。
「ハワイ楽しみね。やっと解放される」
その声が、しれた裕子のにも届いた。
裕子はそのでち尽くした。のき交う空港ので、胸の奥だけがしんと静まり返っていた。
帰りのの、裕子は窓のを流れる景をぼんやりと眺めた。速の防音壁、くに見えるビル群、信号待ちのの列。窓に映る自分の顔は、っていたよりずっと疲れていた。
けれど、その瞳の奥に、ほんのさなが宿り始めていることに、裕子自はまだ気づいていなかった。
自宅に戻ると、のは急に広くじられた。
玄関には、里が履き散らかした靴がそのまま残っていた。リビングにはみかけのペットボトル、キッチンには朝の皿。里が言った通り、掃除すべき所はいくらでもあった。
裕子は布巾をに取った。
けれど、すぐにはかなかった。
「居候は掃除してろ」
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その言葉が、何度もので繰り返された。
裕子はゆっくりと布巾を置き、リビングの子に腰をろした。
掃除より先に、考えることがあった。
こので、自分は体何だったのか。
族なのか。
母親なのか。
それとも、本当にただの居候だったのか。
静まり返ったので、裕子は初めて、その問いから目をそらさなかった。
裕子の名は松裕子。62歳。
総病院で主任護師として働き続けて、31になる。夫をくしてからは10が過ぎた。
夫が脳梗塞で倒れたのことを、裕子は今でも鮮に覚えている。朝、いつものように夫が聞を読んでいた。湯気のつ噌汁をに、裕子が「今は帰りが遅くなるかもしれない」と言った、夫は返事をしようとして、言葉にならない声を漏らした。
そのまま子から崩れ落ちた。
救急のサイレン。病院のい井。医師の説。裕子は護師として何度も見てきた景のに、今度は族としてたされていた。
夫は数かの闘病の末にくなった。
葬儀が終わった、裕子はしばらく何をしていても現実がなかった。朝起きても、夫の湯のみをしてしまう。夕方になると、夫の好物だった煮魚を作ろうとしてしまう。のあちこちに、夫がいた痕跡が残っていた。
そんなだった。
「母さん、俺たちも緒にむよ。
父さんがいなくなって、1じゃ寂しいだろう」
息子の裕がそう言った。
裕子はその言葉に救われた。