"最後に座った妻" 第1話
結婚したのは、30歳のだった。
その頃の子には、さながあった。いつか自分の名で仕事をしてみたい。誰かの妻でも、誰かの母でもなく、自分の名で何かを始めてみたい。
そうっていた期が、確かにあった。
けれど、その気持ちはいつのにか胸の奥へしまい込まれていた。結婚し、に入り、子供がまれ、事と育児と親戚付きいに追われるうちに、自分のを取りして眺めるさえなくなっていった。
気づけば、35が過ぎていた。
その朝も、子は5に目を覚ました。
隣の布団では、夫の勝則がく眠っていた。規則正しい寝息が聞こえる。子はその音を乱さないよう、そっと掛け布団をめくり、音を殺して布団から抜けした。
まだは暗かった。
台所の気をつけると、い蛍灯のが流し台を照らした。蔵庫をける。の残り、卵、噌、青菜、魚の切り。子はをつずつ確認しながら、今の献をので組みてた。
誰かに頼まれたわけではない。
ただ、そうしないと1が始まらない体になっていた。
米を研ぎ、噌汁のだしを取り、魚に塩を振る。まな板ので青菜を切る音が、まだ静かなのにさく響いた。計を見ると、540分だった。
勝則は67歳。2に定を迎えた。
現役の頃は、朝くをて、夜遅く帰ってくる活だった。
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子にとって、そのは自分のリズムでける数ないでもあった。
洗濯をして、掃除をして、買い物へく。族の予定にわせながらも、のには子だけの呼吸があった。
今は違う。
朝から晩まで、勝則はにいる。
リビングのソファに座り、テレビを見て、聞を読み、いついたことをそのままにする。何かを頼むも、確認するも、そこに慮はなかった。
630分をし過ぎた頃、勝則が寝からてきた。髪はし乱れ、寝起きの顔のまま、台所を覗いた。
「おい、今は何に起きたんだ?」
子は噌汁のをめながら答えた。
「5頃」
「いな」
勝則はそれだけ言って、子を引いた。
「いただきます」も言わず、すぐに箸を持つ。
子はまだったままだった。噌汁をよそい、焼き魚を皿に移し、漬物を鉢に入れる。勝則のに並べ終えてから、自分の茶碗を取りに戻った。
全員の分が揃ってから、ようやく自分の子を引く。
35、ずっとそうしてきた。
なぜ自分が最に座るのか、今ではもう説できなかった。夫にそう言われたわけではない。誰かから教えられたわけでもない。ただ、ので自分は最に座るものだと、いつのにか体が覚えてしまっていた。
勝則は噌汁をみ、し眉をかした。
「なあ、これ昨も同じじゃなかったか?」
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子は箸を止めずに答えた。
「お噌汁?」
「そうだよ。具が同じだろ」
「昨の青菜が残っていたから」
「そうか」
文句を言われたわけではない。
ただ確認されただけ。
けれど、その「ただ確認されただけ」が積みなると何になるのか。子はそれをうまく言葉にできないまま、35もの、み込んできた。
勝則はべ終わると、箸を置き、聞を持ってソファへ移った。茶碗はそのままだった。湯みも、箸も、使ったティッシュも、すべてテーブルのに残されている。
子は黙って器をねた。
「ごちそうさま」もない。
それもいつものことだった。
台所へ向かい、流しに湯を張って器を沈める。く曇った面に、自分の顔が映った。
子はを止めた。
いつから、こんな顔になったのだろう。
っているわけではない。しいわけでもない。ただ、何かがしずつ抜け落ちていくような顔だった。
表だけが、先に老いてしまったように見えた。
その夕方、娘の理恵からメッセージが届いた。
「お母さん、最どう? なんか声が聞きたくなって」
子はスマートフォンを持ったまま、しばらく画面を見つめていた。
「元気よ」
そう打とうとして、指が止まった。
元気。
その2文字が、今の自分にどれほど当てはまるのか、子には分からなかった。
結局、彼女はしだけ言葉を変えた。
「丈夫よ。
理恵こそ元気?」
送信ボタンを押した、子はスマートフォンを伏せた。
丈夫。
それもまた、何度も使ってきた言葉だった。