"退職金三千万円と残高三千円の通帳" 第4話
退職祝いという名目は、もう完全に消えていました。
「玲子さん、昨も言ったわよね。通帳と印鑑、用できているの?」
正隆も隣で腕を組んでいました。
「母さんを何度も来させるな。くせ」
私は胸ポケットのスマートフォンで録音を始めていました。
「事なおのことなので、弁護士さんにも確認してからにします」
「弁護士?のの話にを入れるつもり?」
「私名義の座の話ですから、確認は必です」
「嫁が通帳を隠すから、こんな話になるのよ」
「玲子、母さんのでこれ以みっともないことをするな」
2の声はくなっていました。
けれど、その夜も正隆は、まだ引きしにはを伸ばしませんでした。目だけは、何度もリビングの引きしへ向いています。
古い通帳と古い印鑑は、そこに入っています。
こので私が渡せば、2はで「預かっただけ」と言うでしょう。
私が待っているのは、預けた事実ではありません。
勝に持ちした事実です。
義母は帰り際、玄関で振り返りました。
「玲子さん、あなたがさないなら、こちらにも考えがありますからね」
「考えですか?」
「ええ。正隆にも、夫としての覚悟を決めてもらいます」
その言葉に、正隆の顔がしばりました。
母親に背を押されなければ自分では踏み越えない。けれど、背を押されれば踏み越えるしかない。
広告
そんな顔でした。
次のの夜、義母は茶い封筒を持ってきました。
「婚届よ」
部の空気がえました。
「母さん、それは……」
正隆がさく言いました。
やはり、完全には覚悟していなかったようです。
「何を驚いているの?これくらいしないと、玲子さんは自分のが分からないでしょう」
「婚届で私を脅すということですか?」
「脅すなんて聞きの悪いことを言わないで。反省させるのよ」
私は封筒を見つめました。
65歳の女は1ではきていけない。夫に捨てられるのが怖い。だからし脅せば通帳をす。
義母はそうっているのでしょう。
「お母さん、今、婚届を使えば私が焦って謝るとおっしゃいましたね」
「ええ、そうね。通帳もすでしょう」
私は正隆を見ました。
「正隆さんもそうっているんですか?」
正隆は封筒を見つめていました。顔には迷いがありましたが、隣には義母がいます。
正隆は昔からそうでした。自分で考えるより先に、母親の顔を見るでした。
「俺は……母さんの言う通りだとう」
「婚届を置けば、私が通帳をすと?」
「おがを張るからこうなるんだろう」
私はそれ以言い返しませんでした。
台所にがると、リビングのドアをしだけけたままにしました。胸ポケットのスマートフォンでは録音が続いています。
義母の声が聞こえました。
広告
「の朝がいいわ。玲子さんが起きるに、通帳と印鑑を預かりなさい」
「勝に持ちすのは……」
「勝じゃないでしょう。あなたは夫なのよ。婚届は置いておきなさい。本気だと見せれば、あのも謝ってくるわ」
「本当にそんなにうまくいくかな」
「65歳の女が今さら1できていけるとう?」
私は台所でを止めました。
分でした。
婚届。
通帳と印鑑。
の朝、私が起きる。
必な言葉は、向こうのからました。
その夜、寝に入るに、私はリビングの引きしを1度だけ確認しました。
古い通帳、古い印鑑、古いキャッシュカードは、変わらずそこにあります。
そしてテーブルのには茶い封筒。
正隆の迷いと義母の命令が、その部に置きっぱなしになっていました。
私は録音ファイルを保しました。
タイトルはくしました。
「婚届と通帳持ちしを提案」
翌朝、正隆がどうするのか。
私は止めません。
何度も確認しました。何度も止まる会を残しました。
それでもを伸ばすなら、それは正隆自の選択です。
翌朝、のは妙に静かでした。
計を見ると、まだ6をし過ぎたところです。いつもなら隣の布団から正隆のいびきが聞こえているでした。けれど、その布団はきちんと畳まれていました。
普段の正隆なら絶対にしないことです。
私はゆっくりを起こしました。
「ついに来たのね」
臓はしだけく打っていました。怖くないと言えば嘘になります。