"重箱を閉じた日" 第1話
の朝、卓の真んには、段の箱が置かれていました。
黒塗りの蓋をけると、なます、黒豆、数の子、筑煮、昆布巻き、栗きんとん、伊達巻きが、隙なく並んでいます。どれもかけて仕込んだものです。鍋のにち続け、を見て、まして、詰めて、また崩れないようにえたものばかりでした。
けれど、卓に座る族の箸は、箱へほとんど伸びませんでした。
夫は黙ってなますだけを皿に取り、目を閉じてゆっくり噛んでいました。まるでい記憶を確かめるように、酸をわい、み込んでからさく頷きます。
息子はスマホを横目で見ながら、箸先で黒豆を粒だけつつきました。嫁は孫の皿を気にしながら、無理に笑顔を作っています。孫は目のの料理を見て、どうべればいいのか分からない顔をしていました。
その、夫が箱全体を見渡して、眉をしかめました。
「カップ麺ないか?」
その言が、元旦の静かな空気を切りました。
私はすぐには返事ができませんでした。の台所仕事も、腰の痛みも、指先のたさも、その言で全部なかったことにされたようでした。
夫は言い訳のように続けました。
「昨から胃がやられててな。朝から凝ったものは入らん。でも正は形が事だろう。仏壇にも供えるんだから」
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べられないのにさせる。したものはべない。けれど、形だけは必だと言う。
それが、私のの正でした。
計の秒針だけが、やけにきく聞こえました。誰かが笑えば救われたかもしれません。けれど誰も笑いませんでした。誰もりませんでした。そして誰も、私の顔を見ませんでした。
私は湯呑みにを伸ばし、めかけたお茶をみました。喉を通るはずのお茶が、胸の途で止まるようでした。
どうして誰もべないのに、私は作り続けてきたのだろう。
そして、どうして夫はなますだけに、あれほど執着するのだろう。
そのつの疑問が、箱ので私のに居座りました。
私はさく息を吐き、夫の横顔を見ました。夫はまた、なますを運んでいました。
その、私はので静かに決めました。
もう作らない。
この正を最に、私は続けてきた作りおせちを放すのだと。
はに戻ります。
末の台所は、今も戦でした。コンロには鍋が並び、煮汁がふつふつと音をてています。し目をした隙に、筑煮の鍋が吹きこぼれそうになり、私は慌ててをめました。
「危なかった……」
独り言のように呟いても、誰からも返事はありません。リビングからは孫の笑い声、息子の声、夫のい笑い声が聞こえていました。
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テレビの音も混じっています。台所の湯気と油の匂いので、私だけが別のをきているようでした。
腰は朝から痛んでいました。くっているせいで、膝もい。それでも私はを止めませんでした。黒豆の鍋を確認し、昆布巻きを並べ、栗きんとんの甘さを見て、蔵庫のの空きを作ります。
蔵庫はすでにいっぱいでした。、べるつもりで凍して、そのまま忘れられていたものをいくつか捨てました。捨てながら、胸の奥でまた同じ疑問が浮かびました。
これを、誰がべるのだろう。
でもにはしませんでした。言葉にすると、自分がしていることの空しさがはっきり形になってしまいそうだったからです。
「おい、子」
リビングから夫の声がんできました。
「今も箱はちゃんと段だぞ。正は形が事だ。の顔だからな」
の顔。
その言葉を聞くたびに、私は反射に「はい」と答えてきました。今回も同じでした。
「はい。分かってます」
返事をしたあと、胸のだけでため息が落ちました。
昼過ぎ、嫁が台所に入ってきました。髪をまとめ、エプロンを持って、し申し訳なさそうな顔をしています。
「お母さん、伝います」
私はいつものように言いかけました。
「いいのよ。無理しなくて」
けれど、本当は違いました。
伝ってほしかった。
助けてほしかった。にしないでほしかった。
嫁は私の表を見て、静かに首を振りました。
「無理じゃないです。お母さん、毎これをでやってたんですよね」