"午前三時の逃走" 第2話
その優が5に結婚しました。
相は美。当28歳。取引先が主催したパーティーでりったと聞きました。
初めてに連れてきた、美は丁寧にをげました。
「お母様、初めまして。美と申します」
品のある顔ち、落ち着いた声、きちんとした言葉遣い。
所の本さんにも言われました。
「優さん、いいお嫁さんをもらったわね」
私は素直に嬉しかったのです。
けれど、結婚から2ほど経った頃、の空気はしずつ変わっていきました。
きっかけは、美の両親の同居でした。
美の父は祝井幸、67歳。以はさな産会社を経営していたそうですが、詳しいことは聞かされていませんでした。母は、63歳。柔らかい声で話すものの、どこか圧な雰囲気のある女性でした。
ある曜、美がリビングで切りしました。
「お母様、ご相談があるんです」
美は申し訳なさそうに目を伏せました。
「実は父の会社がうまくいかなくて、両親がんでいたマンションを放すことになったんです。しばらくの、ここにませてあげられないでしょうか」
私は瞬ためらいました。
ここは正雄が建てたです。よくらないをませることに抵抗がありました。
けれど、美は続けました。
「お母様もお1だと何かとでしょうし、私たちがそばにいればじゃないですか。
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優さんも張がいですし、母が事を伝ってくれるといます」
優も隣で頷きました。
「母さん、しばらくのだけだから。美も配してるんだ」
息子にそう言われて、私は断れませんでした。
こうして祝井の3が、私のに入り込んできたのです。
最初のうちは、3とも丁寧でした。
幸は「節子さん、節子さん」とよく話しかけ、も台所にって料理をしました。美も「お母様、無理なさらないでくださいね」と優しい声をかけてくれました。
けれど、「しばらく」と言った同居は、3目に入っても終わる気配がありませんでした。
そして同居が引くにつれ、3の態度はしずつ変わっていきました。
最初に変わったのは、台所でした。
「節子さん、台所は私が使いますから、節子さんは座っていてください」
はにこやかに言いました。
言い方はやんわりしていましたが、ははっきりしていました。
台所につな、ということです。
私は30以守ってきた台所を、よそのにけ渡すことになりました。
次に変わったのは事です。
が作る料理は、3分だけ品数がくなりました。焼き魚、煮物、副菜が並ぶ美たちので、私の膳にはおかゆと漬物だけが置かれました。
「お母様はおですから、消化のいいものがいいとって」
美はにっこり笑ってそう言いました。
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私は黙って箸をかしました。
抗議する気力が、しずつ削がれていくのが分かりました。
決定だったのは、話を取りげられたです。
ある朝、私は居で友の田辺さんに話をしていました。田辺さんとは40の付きいで、に何度か話でおしゃべりするのが、私の数ない楽しみでした。
「今の犀、よくってね」
そう話している途で、美が部に入ってきました。
「お母様、話は体に悪いですよ」
「まだ5分も話していないけど」
「でも、お医者様にも言われているでしょう。あまり刺激を受けないようにって」
美は静かに、けれど無を言わせぬ調でそう言い、私のから受話器を取りげました。
田辺さんには何の説もないまま、話は切られました。
その翌から、固定話の親は美の部に移されました。台所の壁にも子はありましたが、美はそのを認めていないようでした。
「お母様の携帯も私が預かりますね。充とか管理が変でしょう」
そう言われて、携帯話も取りげられました。
との連絡段は、すべて断たれました。
も制限されるようになりました。
「節子さん、最つまずくことがいでしょう。で転んだら変だから、1ではない方がいいですよ」
幸がにこにこしながら言いました。
その笑顔が、私にはたまらなく気持ち悪くじられました。
1度だけ、どうしてもへたくて玄関で靴を履こうとしたことがあります。