"講堂に残された角帽" 第3話
そのを境に、誠郎の捜査類は警察署の類棚の奥へしまわれた。
それでも夫婦は、息子を葬ることだけはできなかった。
20054。
稲田学商学部本館の4階、番奥の研究に、藤正幸教授の名札が古びたまま掛かっていた。
藤教授は66歳。5末の定退職を1かあまりに控えていた。その、彼は研究の本棚を片付けていた。30のに積みがった物と論文の綴りが、いっぱいに広がっている。
埃をかぶった背表を1つずつ撫でながら、捨てるものと残すものをより分けていた、本棚の番にあった茶の類箱にが触れた。
藤教授は、その箱を取りすまで随分く躊躇した。
箱は鍵もかかっておらず、ただゴム紐で縛られているだけだった。けれど、彼が10く1度もけられなかった箱だった。
机のに乗せ、ゴム紐を解くと、から古いの束が現れた。
番に置かれていたのは、19952に提された学部卒業論文だった。
「国内企業の資調達構造の変に関する実証研究」
著者は笠原誠郎。
には藤教授の赤ペンの跡が残っていた。初稿に彼自がき込んだい講評も見えた。
「このモデルの応用の余に興を惹かれる。さらに発展させてみるべし」
そのには、最終提された論文に対し、彼がき残した評価もあった。
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「学部の準をはるかに超える研究。学院学を勧めるに値する」
藤教授のが細かく震えた。
彼はもう1つの束を取りした。
それは、別の論文だった。
「国内企業の資調達構造の決定因分析」
著者は藤竜。ほかでもない、藤教授の息子だった。
教授は2本の論文を机に並べた。10もの、まともに付きわせることのできなかった2本だった。
研究テーマ、問いのて方、分析の変数、実証モデルの組みて、数式の記号の選び方。その骨組みは、ほとんど同じだった。違いがあるとすれば、竜の論文に載ったデータ期が、誠郎の初稿よりも1ほどいという点だけだった。
藤教授は子にく腰を落とし、両で顔を覆った。
10にも分かっていたはずだった。
けれど今、改めて見れば、それは逃げのない事実として目のにあった。
やがて彼は引きしをけ、古びた帳の切れ端を取りした。
そこには10の刑事の名が記されていた。
「戸塚警察署 刑事課 鬼塚徹」
20054のある午、藤教授は戸塚警察署の受付にっていた。
「19952に稲田学の卒業式会で方が分からなくなった学の事件を担当された方にお目にかかりたいのです」
数分、廊の奥から1の男が現れた。
鬼塚徹、49歳。再び戸塚警察署の刑事課に戻り、係になっていた。
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藤教授の姿を見た瞬、鬼塚はを止めた。
「藤正幸先ではございませんか」
10の沈黙が、そので静かにき始めた。
取調ではなく、面会に通された藤教授は、類鞄を膝のに置いたまま、しばらくをけなかった。
鬼塚係が帳を取りすと、教授はそれをじっと見つめ、やがてかすれた声で言った。
「これまで申しげられずにいたことがございます」
彼はを半分ほどにし、ようやく話し始めた。
「1995223、卒業式の夜でございました。私は研究で遅くまで学たちの成績を理しておりました。夜9をし過ぎた頃、扉を叩く音が聞こえたのです」
扉をけると、笠原誠郎がっていた。
顔は張っていたが、取り乱してはいなかった。教授が席を勧めると、誠郎は鞄のから2つの原稿の束を取りした。
1つは、自分が1に提した卒業論文の初稿。
もう1つは、ある学会誌に掲載された別の論文。
その著者が、藤竜だった。
「誠郎君は、2本の論文の研究モデルがほとんど同じだと申しました。分析の変数、実証の法、数式の記号の選び方まで、自分の初稿の方が先で、私の息子の論文はそのにたものだと。これは偶然ではない、と言ったのです」
藤教授は、その夜の誠郎の声をいしていた。
「先、私は今こので騒ぎを起こしたいわけではございません。
私は先を信じて伺ったのです。、卒業式が終わりましたら、研究の原本、分析に使った資料をすべてお持ちします。