"講堂に残された角帽" 第2話
そこにはさな縫い跡があった。
誠郎が学1の、友からガウンを借りて写真を撮ったことがあり、そのに破れた袖を美代子が縫い直してやった。その記憶を、母親は目で見抜いた。
しかし、そのガウンのに、束は置かれていなかった。
受け取る者のいない束を抱えたまま、美代子はそので泣くこともできなかった。
夫婦はそので商学部の事務を訪ねた。職員は宿先へ話をかけ、友たちにも確認してくれた。けれど、どこからも誠郎の方はつかめなかった。
そのの午5頃、戸塚警察署に方届が受理された。
担当したのは、鬼塚徹、39歳。方事件をいくつも扱ってきた堅の刑事だった。
鬼塚はその晩から、誠郎の同期たちを1ずつ呼び、聞き込みを始めた。
「式の直まで、僕らと緒にいました」
「ガウンに着替えてくると言って、しどこかへったようですが、それからは見ていません」
「揉めていた相もいませんし、嫌も良さそうでした」
「就職も決まって、卒業もするのに、嫌ないをすることなんてあるはずがありません」
争った跡も、恋のもつれも、銭のトラブルも見つからなかった。
誠郎は、内定先の会社からの通を、その週の曜に両親へ見せたばかりの青だった。未来から逃げす理由は、どこにも見当たらなかった。
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捜査が始まって6目、鬼塚刑事は夫婦を警察署へ呼んだ。
取調ではなく、相談だった。鬼塚は机のに帳を置き、言葉を選ぶようにしてをいた。
「お父さん、お母さん。今の段階では、事件性がはっきりしておりません。ひとまずとして登録し、全国に配を回しておきます」
美代子はすぐに顔をげた。
「うちの息子が、自分のでてったとおっしゃるんですか」
鬼塚は静かに首を振った。
「そう決めつけているわけではありません。ただ、今の段階で捜査のをかけ続けるだけのがかりがないということです」
その晩、夫婦は阪きの列に乗った。寛治の膝のに置かれた茶い鞄のには、講堂の隅の子に置かれていた黒い卒業ガウンと角が、きちんと畳まれて入っていた。
阪に戻った翌から、寛治はへ通い始めた。仕事が終わると文具へち寄り、の束とコピーのトナーを買った。
に戻ると、台所の卓にを広げ、自分ので息子の写真のに文字をき入れた。
「を探しております。氏名、笠原誠郎。1972まれ。178cm。1995224、稲田学の卒業式会にて最に目撃」
料袋を受け取ると、寛治はその半分を別にして取っておいた。方は暮らしのため。もう方は、息子を探すためだった。
彼が最初に向かったのは京駅だった。
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待の掲示板、公衆話のボックス、柱の横。駅員に剥がされても、寛治はまた1枚ずつ丁寧に貼り直した。
京駅の次は野駅。次は品川駅、宿の速バスターミナル、浜松町のバスターミナル。やがて取りは名古、仙台、福岡へと広がっていった。
全国のきな建設現も回った。現のにビラを貼り、職たちにをげた。
「この青を見かけたことはございませんか」
似た男を見たような気がすると言われれば、寛治は次の週末の列に乗った。着いた先で会う相は、いつも息子ではなかった。それでも彼は帰りの列ので、次の目をき留めた。
方、美代子の暮らしは次第に狭まっていった。
彼女は1の半を、の玄関先で過ごすようになった。さな腰掛けを置き、で音が聞こえるたびにちがる。
「もしかして、うちの誠郎かもしれない」
けれど、扉のにっているのは、いつも別のだった。
1999の、鬼塚刑事が丸の内警察署へ異することになった。異、彼は阪の夫婦へ話をかけた。
「事件は任の者にしっかり引き継いでおきます」
その、夫婦は京へ京し、任の刑事に会った。けれど、刑事は事務な表で言った。
「古いの事件は、しいがかりが入らない限り、くことが難しいのです」
美代子は鞄から、5歳の誠郎がブランコので笑っている写真を取りし、刑事のにそっと置いただけだった。