"骨が覚えていた名前" 第3話
頬骨縮術。
それは顔の輪郭を細く見せるため、頬骨の部を切して内側に移させる美容形術だった。
骨を切るため、痕跡が残る。
被害者の頬骨には、その痕跡があった。
頬骨縮術は、般な術ではなかった。
全麻酔が必で、術も2から3ほどかかる。費用も2000代半ばの基準で50万円から100万円程度。健康保険は適用されない自由診療だった。
つまり、どこの病院でもできる術ではない。
主に京の本や座周辺の美容科など、限られた医療関でわれていた。
捜査官たちは方針を変えた。
方者名簿でも、着の購入者でもなく、美容科の患者記録を追う。
頬骨縮術を受けた女性のに、被害者がいるはずだった。
警察は、20061から20075までに頬骨縮術をった能性のある医療関を調べ始めた。
対象は京都内だけでなく、関全域に広がった。
リストにがった病院は約570か所。
捜査官たちは1件ずつ訪問した。
茨県内で元の女性骨遺体が発見されたこと。頬骨に美容形の痕跡があること。被害者の元確認のため、術記録が必であること。
そう説し、協力を求めた。
しかし、簡単にはいかなかった。
病院側は慎だった。
「患者報は個報です。簡単にお渡しすることはできません」
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その言葉は当然だった。患者の同なしに術記録をへせば、病院側にも問題がじる。
だが、捜査官たちも引きがれなかった。
「これは殺事件です。被害者の名も分からないまま、犯を逃すわけにはいきません」
協力を拒む病院には、捜索差押令状の取得も検討すると伝えた。
令状の話がると、病院側の態度はしずつ変わった。制捜査を受けるより、協力した方がよいと判断する病院が増えていった。
刑事たちは昼夜を問わず病院を回った。
あるは1に10か所以訪問した。
説し、説得し、資料を受け取る。その繰り返しだった。靴底はすり減り、類は積みがっていった。
ついに、570か所から資料が集まった。
20061から20075までに頬骨縮術を受けた女性患者の名簿。
そこに載っていた数は約2000だった。
このに、被害者がいる。
刑事たちはそう信じた。
警察が選んだ方法は単純だった。
2000全員に連絡する。
本がきていると確認できれば、被害者ではない。連絡がつかない物こそ、被害者である能性がい。
刑事たちは話を握りしめ、朝から晩まで確認を続けた。
「稲敷警察署です。ご本確認のため、ご連絡しました」
話を受けた々のくは困惑した。なぜ警察から連絡が来るのか分からなかった。
「はい、ご本様で違いありませんね。
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確認できました。ありがとうございます」
本確認が取れるたびに、名簿から1が消された。
2000が1000になり、1000が500になった。さらに200、100へと減っていった。
本ではなくても、族から確認できれば除された。
「娘ですか。元気にしています」
「昨結婚して、今は阪にんでいます」
そうした返事が返ってくるたびに、刑事たちは次の番号へんだ。
しかし、連絡がつかない々もいた。
話番号が変わっている。
使われていない。
所が変わっている。
民票の所にんでいない。
そうした物は別に記録された。
最終に、連絡の取れない女性は60まで絞られた。
警察はこの60について、さらに詳しい調査を始めた。民票の所を確認し、直接訪問し、族やに所を尋ねた。
くは単なる引っ越しや連絡先変更だった。にているもいた。
60が40になり、40が20になった。
そので、1の女性が捜査官の目に留まった。
佐藤氏、30歳。
京都内にんでいた女性だった。
20063、本の美容科で頬骨縮術を受けた記録があった。しかし、20075以、連絡が途絶えていた。
話番号は使われていない。
民票の所にもいない。
族に連絡しても、所は分からないという。
佐藤氏は福岡県だった。幼い頃に両親が婚し、母親と暮らしていた。
20歳頃から俗で働き、族とはほとんど連絡を取っていなかった。
1に1、2度、否をらせる話をする程度だった。