"東京駅に消えた母" 第6話
「私が母を汽に乗せました。湯原でりました。それからへ連れてきました」
「なぜですか」
「母がつらいと申していたんです。私も、もう持ちこたえられないと……」
宅はく息を吸いました。
「それで、お母様の命を奪ったんですか」
はさく頷きました。
27越しの自でした。
しかし、宅はそこで終わりにしませんでした。
の話には、まだ自然な点がありました。
あの、はへ2度き、京駅で切符を買い、午2には方届をしています。そのずっと認症の母を連れていたというには、きが慌ただしすぎるのです。
捜査会議で宅はホワイトボードに系列をきしました。
午1015分、で5万円を引きす。
午1232分、京駅できの乗券を購入。
午120分、で母名義の通帳を解約。
午2、交番にて方届。
隣にいた藤実警部補が腕を組みました。
「確かに詰まりすぎているな。認症の母親を連れて、これだけ正確にくのは簡単じゃない」
宅は記録を見直しました。
最初のには、母の署名と代理欄の記載がありました。
しかし2度目の座解約には、母本が同席していた記載がありません。
「この、母親をどこかに置いていた能性があります」
宅は再びを呼びました。
「佐倉さん、2度目にへった、お母様はどこにいらしたんですか」
広告
「ずっと緒でした」
「の記録では、あなた1で来たことになっています」
は唇を噛みました。
「母はで待たせていました」
「なぜですか。1度目は緒に入っているでしょう」
は答えられませんでした。
宅は確信しました。
誰かがを貸した。
捜査班はの周辺物を洗い直しました。職の同僚、所の、古い友。
そして1の男にたどり着きました。
当、と同じ町で働いていた同僚、田誠です。
田はすでに退職し、県の実で暮らしていました。
宅が訪ねると、田は煙を指に挟みながら言いました。
「さんは覚えていますよ。10以緒に働きましたから」
「19889の終わり頃、何か変わったことはありませんでしたか」
田はしばらく考えました。
「あの頃、さんが3ほど会社にてこなかったんですよ。無断でね」
「には」
「そののだったといます。私にを貸してくれと頼んできました」
「いくらですか」
「3万円です。当としてはでしたよ。急ぎでると言っていました」
宅はさらに尋ねました。
「その頃、さんと親しかった方はにいませんでしたか」
田は煙を吐きながら首を傾げました。
「そういえば、1度、義妹さんだとかいう若い女性が訪ねてきたことがありましたね」
「義妹さん?」
「詳しい柄は分かりません。ただ、駅のくの旅館で働いていると話していました。
広告
20代の終わりくらいの女性でした」
宅は京へ戻り、妹の文に確認しました。
「お兄様の義妹にあたる方はいますか」
文は首を横に振りました。
「うちの主に妹はいません。1息子です」
田の記憶違いなのか。
それでも宅は諦めませんでした。
1988当、京駅周辺にあった旅館を片っ端から調べました。くはすでに廃業していましたが、1軒だけ当の女将が残っていました。
女将は、宅の質問に頷きました。
「佐倉さんなら覚えています。うちの娘のりいでした」
娘の名は、古美奈代。
当20代半。旅館で働いていました。
宅が話をかけると、受話器の向こうで女性の息遣いが乱れました。
「1988の佐倉さんの件で、お話を伺いたいのです」
「私は何もりません」
「の命に関わる事件です。ご協力いただけなければ、共犯として調べを受けていただくことにもなりかねません」
い沈黙が流れました。
やがて、美奈代は震える声で言いました。
「私が……を貸しました」
2、古美奈代は警察署へやってきました。
55歳になった彼女は、取調の子に座ると、刻みに震えました。宅は湯呑みを差ししました。
「落ち着いてからで構いません。ゆっくり話してください」
美奈代は湯呑みにをつけ、しばらくしてから話し始めました。
「1988924の晩、さんが旅館に訪ねてきました」