"東京駅に消えた母" 第3話
次男の佐倉英。女の佐倉文。
英は横浜でさな堂を営み、文は阪で美容院を営んでいました。
「兄さん、これはいったいどういうことですか。母さんに何があったんですか」
英は交番の子に座るなり、に詰め寄りました。
文も涙を浮かべていました。
「お兄ちゃん、どうしてあの、母さんをあんな混みへ連れてったの」
はただをげるばかりでした。
「すまない。すまない」
その声はく、震えていました。
しばらくして、がかりらしきものが1つました。
京駅くの餃子の主が、あのの午、いの着物姿の老女が丸の内方面へ歩いていくのを見かけたと言ったのです。
川警部補はすぐに丸の内界隈を調べました。
商、、、ビルの入り。
しかし、何ひとつ応えはありませんでした。
目撃報はそれきりでした。
1かが過ぎ、2かが過ぎ、捜査は事実打ち切られました。
1988当、防犯カメラもなければ、今のような照会システムもありません。々の記憶に頼るしかなく、その記憶もとともにれていきました。
川警部補は、に告げました。
「これ以、の打ちようがありません」
は静かに頷きました。
「そうですか」
その目から涙がこぼれました。
1989の、は1で母の供養を営みました。
遺体のないまま、空席のに酒を供え、畳に両をつきました。
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「母さん、申し訳ございません。私が悪うございました」
隣の清信子は、その姿を見ていました。
は本当に母を切にしていた。
そうおうとしました。
けれど、清の胸には、どうしても消えない引っかかりがありました。
方になったの朝、が持っていたきな鞄。
混みを見にくだけなら、あんな鞄はいらないはずです。
それでも清はを閉ざしました。
疑うことが怖かったのです。
は流れました。
は1暮らしを続け、母の部をそのまま残しました。タンスも布団も、着物も、まるでミサがいつか帰ってくるかのように置かれていました。
毎、母の命には供養を欠かさず、空の祭壇に酒を注ぎました。
町の々は、その姿を見て言いました。
「さんは、ずっと悔やんでいるんだね」
「本当に親孝なだったからね」
しかし、弟の英と妹の文は、兄と完全に縁を切りました。
母を見失ったことよりも、兄が本気で真実を探していないように見えたことが許せなかったのです。
世のは目まぐるしく変わりました。
京駅の周辺は再発され、昔の景はしずつ消えていきました。ソウル輪の記憶もくなり、佐倉ミサの名を覚えているも減っていきました。
捜査記録は、警察署の古い棚の片隅で埃をかぶりました。
2014、は71歳になっていました。
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髪はくなり、腰は曲がり、それでも1で暮らしていました。毎、母の供養を続け、所の々からは今も「親孝な男」と呼ばれていました。
彼が何を考え、どんな秘密を抱えているのか。
誰1としてりませんでした。
そして2015、すべてが変わりました。
未解決事件の見直しがめられるで、佐倉ミサの方事件も再調査の対象となったのです。
弟と妹がにわたり、再捜査を求める願いをしていた記録が残っていました。
たに事件を任されたのは、39歳の宅基巡査部でした。
宅は古びたファイルをき、記録を1ずつ読みました。
なぜ、族はもっと探そうとしなかったのか。
なぜ、弟と妹は兄と縁を切ったのか。
なぜ、は27、1で供養を続けてきたのか。
この事件は、どこかおかしい。
その違から、再捜査は始まりました。
宅巡査部が最初に連絡を取ったのは、弟の英と妹の文でした。
「1988のお母様の方の件で、いくつかお聞きしたいことがあります」
話で英はいため息をつきました。
「母はもうくなっているでしょう」
その声には、諦めとりが混じっていました。
宅は当のとの関係を尋ねました。
英はしばらく黙った、答えました。
「兄は、私たちより母を切にしている親孝な男だとっていました。
だからこそ、あののことがどうしても許せなかったんです」