"東京駅に消えた母" 第1話
1988925、午2。
京駅の待で、72歳の老女が姿を消しました。
老女の名は佐倉ミサ。初期の認症を患っていましたが、ののことはまだ自分でできる状態でした。
そのの京駅は、ソウル輪の気に包まれていました。駅の構内には旅客や買い物客があふれ、きな荷物を抱えた々が改札へ急いでいました。井から吊るされたスピーカーからは、列の発案内がひっきりなしに流れています。
その雑踏ので、ミサは息子のをしてしまった。
表向きは、そう語られていました。
けれど、正しく言うならば、をしたのは息子の方でした。
当45歳だった男、佐倉は、そのの午、交番へ駆け込みました。目を真っ赤に腫らし、警察官のでくをげました。
「母が、洗いにくと言ったきり戻りません。30分以たっています。認症があるので、に迷ったに違いありません。どうか探してください」
警察はすぐにきました。
京駅周辺の商を1軒ずつ回り、隣の交番にも連絡を入れました。駅員にも聞き込みがわれました。
けれど、1988当、駅構内に今のような防犯カメラはありませんでした。頼りになるのは、の記憶だけです。
「いの着物姿のおばあさんを見た気がする」
そう言う駅員もいれば、
「そんなは覚えていない」
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と首を振る者もいました。
証言はばらばらでした。
は、それから毎のように京駅にちました。母の写真を貼ったビラを持ち、通に1枚ずつ差ししました。
「この寄りを見かけませんでしたか」
通り過ぎる々は、申し訳なさそうに首を横に振るばかりでした。
「輪の期でがすぎて、いちいち覚えていない」
返ってくる答えは、ほとんど同じでした。
1週が過ぎ、2週が過ぎました。3か目に入る頃、捜索は事実打ち切られました。
担当の川警部補は、に静かに告げました。
「できる限りのことはしました。しかし、これ以のがかりがありません」
は黙って頷きました。その頬には涙が流れていました。
やがて、弟と妹が兄を責めました。
「なぜ、あの母さんを京駅なんかへ連れてったんだ」
「なぜをしたの」
は何も言い返しませんでした。ただ畳にをつき、
「私が悪かった。私が悪かったんです」
とを垂れるばかりでした。
1989の、はたった1で母の周忌の供養をいました。遺体もないまま、空っぽの祭壇のに酒を供えました。
「母さん、申し訳ございません」
その姿を見て、所の々は胸を痛めました。
佐倉は親孝な男だ。
母を見失ったことを、誰よりも悔やんでいる。
町内では、そんなふうに語られていました。
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そうしてい歳が流れました。
京駅で消えた1の老女の記憶は、々のからしずつれていきました。輪の気に紛れた数え切れない方事案の1つとして、事件は古い記録の奥に沈んでいったのです。
ところが27の2015、すべてが覆ります。
1の刑事が、古びた類の束をめくっていた、奇妙な記録に気づいたのです。
佐倉ミサが姿を消したその、何者かが彼女名義の通帳からまとまったを引きしていました。
それは、方届がされるわずか数のことでした。
さらに、京駅からへ向かう乗券が1枚だけ売れていたという、きの売台帳も見つかりました。
購入刻は午1232分。
切符を買ったのは、の男が1。
連れはいなかったと記されていました。
27、親孝な男として供養を続けてきた佐倉。
その仮面のに、誰も像しなかった真実が隠されていたのです。
1988925の朝。
佐倉ミサは台所にち、朝の支度をしていました。鍋からは噌汁の湯気ががり、古いのテーブルには茶碗が2つ並べられていました。
ミサには認症の初期症状がありました。々同じことを繰り返し尋ねたり、先でに迷いかけたりすることはありましたが、まだ常活をすべて失っていたわけではありません。
息子のは、母と2で暮らしていました。
所の々は、彼を親孝な男だとっていました。仕事にるに母の様子を気にかけ、買い物にも付き添う。