"年金六万円の母" 第7話
経済に恵まれない子どもたちへの教育支援。その企画や運営に携わることができ、元教師としての経験が本当に役っていました。
ある、若いスタッフがたくさんのを持ってきてくれました。
「若子さん、子どもたちがお礼のをいてくれましたよ」
私は封筒をきました。
若子おばあちゃんへ。
勉具をありがとうございました。
切に使います。
子どもたちの素直な文字に、胸がくなりました。
えり子はいつも言ってくれました。
「本当に若子が来てくれて助かっているわ」
30万円といういもよらない待遇で雇ってくれました。とわせれば、分すぎるほどの収入です。
「えり子、私なんかにこんなに……」
「何を言っているの。あなたの価値は、おでは測れないわ」
その言葉が、どれだけ私を勇気づけてくれたことでしょう。
あるの午、財団のイベントで講演をすることになりました。
テーマは「の再発」でした。
私は会に集まった同代の女性たちに語りかけました。
「私は68歳でをやり直しました。息子夫婦から経済虐待を受け、施設送りにされそうになりました。でも、40来の親友が救ってくれたのです」
会からため息が漏れました。
私は続けました。
「齢は関係ありません。切なのは、自分の尊厳を守る勇気です。
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し続ける必はないのです」
講演、くの女性たちが私のところへ来ました。
「私も似たような経験があります」
「勇気をもらいました」
「まだ遅くないんですね」
彼女たちの言葉に、私は自分の経験が無駄ではなかったとじました。
その頃、翔平の会社は予通り倒産していました。自己破産を申請し、美咲とは婚したとの噂で聞きました。
ある、えり子が私に封筒を渡しました。
「若子、息子さんからが来ているわよ」
震えるで封をけると、そこには翔平の文字がありました。
母さんへ。
本当にごめんなさい。
今さら謝っても遅いことは分かっています。
会社を失い、族を失い、すべてを失って初めて、自分が何をしてきたか分かりました。
母さんが与えてくれた1500万円。
それは単なるおではなく、母さんのそのものでした。
それを忘れ、母さんを粗末に扱った自分が恥ずかしいです。
今、僕はさなアパートで1暮らしをしています。
雇いの仕事をしながら、0からやり直しています。
母さんに会う資格はありませんが、1つだけ伝えたいことがあります。
母さんは最の母親でした。
それを見失っていた自分を、許すことはできません。
いつか本当ので、母さんに恩返しができるになりたいです。
それまで、どうか元気でいてください。
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翔平。
私はを読み終え、静かに涙を流しました。
えり子がそっと肩を抱いてくれました。
「返事をく?」
私は首を横に振りました。
「いいえ。まだいわ」
いつか翔平が本当にち直った、また会えるが来るかもしれません。
でも、それは今ではありません。
その、私は財団でしいプロジェクトのリーダーに任命されました。シニア女性の自支援プログラムです。経済DVや虐待に苦しむ齢女性たちを支援する取り組みでした。
かつて「お荷物」「邪魔者」と呼ばれた私が、今ではくのから必とされています。
休には、えり子と緒に旅にもきました。温泉、美術館、コンサート。若い頃にできなかったことを、今はう分楽しんでいます。
ある、孫からが届きました。
おばあちゃんへ。
パパから聞きました。
おばあちゃんにひどいことをしたって。
僕、おばあちゃんの編んでくれたマフラーをゴミ箱から拾って、切にしています。
いつか会えたら、お礼を言いたいです。
孫の素直な言葉に、私のは温かくなりました。
いつか、この子とは会えるかもしれない。
今、私の預通帳には、昔の私には考えられないほどの額が入っています。けれど、それ以に切なものをに入れました。
尊厳。
友。
そして、きがい。
おでは買えない、本当の豊かさです。
私は今、から言えます。
私は幸せです。
68歳で始まったしい。
それは、理尽に屈しなかった先にある、本当の幸せでした。
振り返れば、あの、息子夫婦のたい言葉を聞いたことが、私のを変えるきっかけでした。
「暮らしなのに、うちで体何をべるの?」
その言葉は、私を奈落の底へ突き落としました。
でも同に、そこからいがる勇気も与えてくれたのです。
に遅すぎることはありません。
理尽に屈する必もありません。
誰にでも、自分の尊厳を守る権利があります。
今も私は財団でしい1を始めます。
救いを求める女性たちのために。
そして、自分自の輝く未来のために。
完