"パリへ発った妻の代償" 第1話
3も終わりに差しかかった、肌寒い朝のことだった。
京郊の閑静な宅にある、築35の2階建ての軒のに、1台のタクシーが止まっていた。朝というにはまだ暗く、隣所のはカーテンを閉め切ったままだった。灯のオレンジのが、に濡れたアスファルトのでぼんやりと滲んでいる。
夜からり続いているたいが、の訪れをためらうように町を覆っていた。
藤堂誠郎は玄関のたたきにち、妻のスーツケースを持ちげた。70歳になった体にはこたえるさだった。最は腰の調子も良くなく、いものを持つたびに鈍い痛みがる。
それでも黙って運ぶのは、の癖だった。
頼まれなくてもやる。
そういう男だった。
「あら、無理しないでいいのに」
妻の俊子が玄関からてきた。ではそう言うが、止める気はないらしい。誠郎がスーツケースをタクシーのトランクに積み込むのを、傘も差さずに玄関先から眺めている。
真しいベージュのトレンチコート。首元にはどこかのブランドのスカーフ。髪は3に美容院でえたばかりで、髪をきれいに染めた焦げ茶が灯のかりので艶やかにっていた。
俊子は誠郎と同いの70歳のはずだった。
それなのに最の彼女は、どこか若返ったように見えた。
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化粧品が変わった。
の趣が変わった。
に1度だった美容院通いが、いつのにかに3度になった。
スマートフォンを放さなくなり、呂にまで持ち込むようになった。
誠郎は、そのすべてに気づいていた。
ただ、何も言わなかった。
「じゃあ、ってくるわね」
俊子はスーツケースの横にち、肩掛けバッグを直しながら言った。
「佐々さんたちとの旅だから、1週くらいになるとう。ご飯は蔵庫にいろいろ入れてあるから、適当に温めてべて」
しを置いて、俊子はいしたように付けした。
「ああ、お呂のカビ取り。私がいないにやっておいてくれると助かるんだけど」
「ああ、分かった」
誠郎の返事はかった。
それはいつものことで、俊子も特に気にした様子はなかった。
45も緒にいれば、会話などこんなものだ。もっとも、かつてはもうしまともに言葉を交わしていた気もする。だが、いつのにか2の会話は、用件と連絡だけになっていた。
いつからだろう。
退職してからか。
子供たちが独してからか。
正確なところは、誠郎にも分からなかった。
「それじゃあ、ってきます」
俊子はそう言って、タクシーの部座席に乗り込んだ。
振り返りもしなかった。
を振ることもなかった。
の夫を玄関に残して、当然のようにってしまう。
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その背にろめたさがあるのかないのかも、誠郎には読めなかった。
タクシーのテールランプがので赤く滲み、角を曲がって見えなくなった。
誠郎はしばらくそこにっていた。
たい粒が、裸につっかけたサンダルのに落ちている。元が濡れていることに気づいたが、すぐにのへ戻る気にはなれなかった。
静かだった。
妻がていったのは、いつもこうだ。
ここ数、俊子がするたびに、このは急に広くなる。
いや、広くなるのではない。
空っぽになるのだ。
誠郎はサンダルのを払い、玄関に入って鍵を閉めた。
リビングへ向かう廊を歩きながら、無識に壁に掛かった族写真へ目をやる。子供たちがまだ学だった頃の1枚だった。
写真のの誠郎は30代半で、髪は黒々としていて、顔も今よりずっと精悍だった。俊子は若い母親らしい柔らかな笑顔を浮かべ、男の輔と女の美咲がに並んでいる。
もう30以の写真だ。
あの頃は幸せだったのだろうか。
いや、幸せかどうかを考える余裕すらなかった。
精密器メーカーの技術者として、朝から晩まで働いた。休勤も珍しくなく、に帰れば寝るだけだった。子供の運会にも参観にも、ほとんどけなかった。のことは全部俊子に任せきりだった。
それでも、族のために働いているのだという自負はあった。
のローンを35かけて返した。
子供2を学までした。